対談・鼎談
2015年1月号掲載
特別対談
行きつく映画は成瀬巳喜男
香川京子 × 川本三郎
――名女優と語る〈静かな巨匠〉の面影
対象書籍名:『成瀬巳喜男 映画の面影』(新潮選書)
対象著者:川本三郎
対象書籍ISBN:978-4-10-603760-3
川本 成瀬巳喜男は私の一番好きな監督で、長いあいだ、きちんとした成瀬論を書かなければいけないと思ってきました。やっと、十二月に『成瀬巳喜男 映画の面影』として出版の運びになりまして。
香川 おめでとうございます。成瀬監督の映画、そんなにお好きなんですか?
川本 ええ、『行きつく映画は成瀬巳喜男』というタイトルにしようとしたくらいで(笑)。今日は、成瀬作品に「銀座化粧」(51年)、「おかあさん」(52年)、「稲妻」(52年)、「驟雨」(56年)、「杏っ子」(58年)と五本出演されている香川さんに、監督との思い出を伺おうと思います。戦後スランプだった成瀬が「復調した」と評されたのは「めし」(51年)ですが、その前々作の「銀座化粧」も充実した作品だと思います。香川さんがこの作品にお出になったのは、まだデビュー間もない頃ですね。
香川 永島一朗という私の叔父が新東宝の宣伝部にいて(のちプロデューサー)、監督をよく存じ上げていたものですから、お声をかけて頂いたのだと思います。
川本 みなさん、成瀬は物静かな監督だったと仰いますが、香川さんにもそうでしたか?
香川 こちらは駆け出しですから、怖かった(笑)。現場での目は厳しい方でしたけど、「ダメだ!」とか大きな声を出したりはなさいませんでした。私はまだ、自分の演技がこれでいいのか悪いのか、わからない頃なんです。でもまあ、監督さんがOKを出されたんだから大丈夫でしょう、と自分を納得させていました(笑)。
川本 高峰秀子さんは成瀬作品に十三本も出ていますが、高峰さんの本を読むと、「成瀬監督とはすごく仕事がしやすかった」と。今風に言うと、撮影は九時五時できちんと終わって、飲みに連れて行かれることもなく、「ハイ、また明日」なので実にやりやすかった、というんです。
香川 高峰さんは、「成瀬監督と個人的に会話したことはほとんどない」って、何かに書かれていましたね。私はまだ子どもだったし、成瀬監督は偉かったから、個人的なお話をすることはなくて当然ですが、高峰さんでもそうだったんだ、と少し吃驚(びっくり)しました。でも、私、ほかの監督さんともそうですね。黒澤組はよく、みんなでお食事に行ったりするんですけど、私はお酒飲めないし、撮影が終わるとすぐに帰っちゃう(笑)。
川本 「銀座化粧」と「おかあさん」では、田中絹代さんと共演されていますね。「銀座化粧」では女給の先輩後輩、「おかあさん」では母娘の役です。戦前の「愛染かつら」(38年、野村浩将監督)もそうでしたが、この二本で、田中さんはこれまでの娘役から、本格的に母親役になる。
香川 田中さんはすごく優しくして下さいました。「おかあさん」の撮影後、永島の叔父と、やはり叔父が親しくしていた宇野重吉さんと三人、鎌倉の御殿へ呼んで頂いたこともあります。
川本 鎌倉山にあった〈絹代御殿〉へ。
香川 その時、いろいろお話を伺いましたけど、田中さんがアメリカからお帰りになった時に……。
川本 はい、あの投げキッス事件があって(50年、田中絹代は日米親善芸術使節として渡米、帰国時にパレードの車上から大勢のファンに投げキッスをして、激しいバッシングを受けることになる)。
香川 私みたいな新人に、「ファンレターが一通も来なくなっちゃったのよ」って仰るんです。私は何とお返事していいのか。でも、そんなにお辛そうな感じではなくて、さらっとした口調でした。「裏の崖から飛び降りようと思ったのよ」とも仰ってた。田中さんが、使節としてアメリカを廻っていらっしゃるドキュメンタリーはご覧になりました?
川本 はい、見ました。
香川 お振袖でずっと廻って、大変でしたよね。やっと日本に帰れて、すごく解放された思いもあったんじゃないかしら。みんな、アメリカでどれだけ大変だったか知りませんからね。田中さんにしたら、あちらにいる間に、投げキッスも当り前になっていたでしょうし。
川本 「おかあさん」で、長女役の香川さんは焼跡みたいなところに屋台を出して、今川焼を売りますね。あそこはロケですか?
香川 あれはオープンセットでした。いま、オークラランドっていうレジャー施設になっているところに新東宝の第二撮影所があって、そこに作ったんです。
川本 すごい、あの町はオープンセットですか。その今川焼の屋台の前を、昔の同級生が二人通ります。彼女たちは当時流行っていたドレスメイキング、ドレメに通ってるんですが……。
香川 そうそう、洋裁学校ね。
川本 普通なら、「友達はドレメで、自分は今川焼か」と、いじけちゃうでしょう? でも、香川さんは明るく対応する。成瀬映画のああいうところが好きなんですよ。
香川 「帽子作ってあげる」「うまくなったらね」とか会話するんですよね。
川本 お父さん役の三島雅夫が、卓袱台でご飯を食べている時に具合が悪くなる。その時、香川さんの腕白な甥っ子役の伊東隆が、よく事情がわからなくて、食べかけの茶碗を持ったまま立ち尽くす。あそこの演出もすごい。
香川 成瀬監督の子役さんへの指導のなさり方はお上手ですよね。ちょっと鼻をほじらせてみたり、チョコチョコっとした動作が自然でおかしい。でも、お父さんが亡くなるシーンはないんですよね。
川本 そうなんです。成瀬は大げさなのが嫌いだから。脚本は水木洋子さんですが、伊東隆が寝言で、引き揚げの時は怖かったみたいなことを言うのを、成瀬はカットしてます。確かに、ない方がいい。
香川 今のテレビや映画は、すごくセリフが多いんですね。最近、脚本を読ませて頂いたりしても、成瀬監督だったら「これは要らない」「これも」って、どんどん消しちゃうだろうな、と思うんです。今は、言葉で説明しないと、わからないのかもしれないけど。
川本 やはり水木さんが書いた「浮雲」(55年)でも、成瀬は大げさだなと思うと場面もセリフもどんどん削っていくから、水木さんが「削らないでよ」(笑)。
香川 だから、「おかあさん」の家族も、お父さんとお兄さんが続けて死んだり、不幸はあるんだけど、どこか明るいですね。愁嘆場にならないというか。貧しいは貧しいけど、別に落ち込まないし。
川本 貧しいと言えば、病気で寝ている香川さんの兄役、片山明彦(高倉健さんと同じ日に彼の訃報も新聞に載りましたが)のために、「夏みかんを買ってきなさい」と、田中絹代が末っ子役の榎並啓子に言うんですが……。
香川 そう、「果物屋じゃなくて、八百屋で買うのよ」って注意する。ああいう、その一家の感じが伝わって来るセリフがいいんですね。啓子ちゃん、この後、「山椒大夫」(54年、溝口健二監督)で安寿役の私の小さい頃を演じてくれました。
川本 成瀬って、お金に細かいんですよね。香川さんも出演した「驟雨」では、あの原節子に「焼芋ください」ではなくて、「焼芋、二十円ちょうだい」と言わせたり。
香川 原さんがああいう役をなさるの、面白くて大好き。「驟雨」で、夫役の佐野周二さんと口論しながら、お台所で立ったままでお茶漬けをかきこんだり。小津組ではめったに見られないシーンでしょう?(笑)
川本 成瀬にかかると、原節子でも急にヌカミソくさくなる(笑)。小津の「麦秋」(51年)では、原節子は銀座であの頃まだ贅沢品だったケーキを買って来るのに、成瀬では焼芋、それも二十円だけ。
香川 それに、女の人の嫌な面も描きますしね。小津監督の原さんと、成瀬監督の原さんは随分違いますね。
川本 女性の嫌な面というわけではありませんが、「おかあさん」で、三島雅夫が亡くなり、田中絹代は生活のために夫のクリーニング屋を継ぐことになって、その手伝いをシベリア抑留帰りの男、加東大介がする。年頃の娘が、母親と親しい男性に対して複雑な思いを抱くのを、香川さんは品良く、巧みに演じてらっしゃいますね。
香川 そうでしょうか。
川本 加東大介が結局、身を引くというか、出て行くことになる。その時、お風呂帰りの香川さんが、(私、なんか悪いことしちゃったかな……)という感じで見送るあたり、実に素晴らしいです。成瀬監督はあまり俳優に繰り返し演技させなかったと言いますが、ああいう繊細な演技が必要なシーンもほとんど一回か二回でOKが出るものですか?
香川 あんまり何回も、という記憶はありません。だから、話が戻っちゃいますけど、これでいいのかな、って(笑)。
川本 「ひめゆりの塔」(53年)――昭和十九年生まれの私には、この映画は辛すぎて未だに観ていないのですが――の今井正監督は何度もNGを出すんでしょう? それも、どこが悪いとも言わずに。
香川 ええ。「もう一回」と仰るだけ。溝口監督もそうです。「自分で考えなさい」という方だから、何も仰しゃらない。成瀬監督も無口なんだけど、テストやNGは少なかったと思います。ただ、私、「杏っ子」はあまりうまくいかなかったんです。
川本 あれは、室生犀星の私小説が原作で、映画に向いてない話ですからね。
香川 私が年齢的に変り目の時期だったのでしょうね。それまで、あまり考えずにのびのびやってきたのに、あの頃は、もう一つできそうなのに、うまくできなくてじれったい、みたいな感じでいました。「森と湖のまつり」(58年、内田吐夢監督)や「人間の壁」(59年、山本薩夫監督)もそう。「もうちょっとやらなきゃいけない」と思うけど、何か、できなかった。その後、黒澤組の「悪い奴ほどよく眠る」(60年)や「天国と地獄」(63年)、「赤ひげ」(65年)などでまた変わることができたように思うのですが――。
川本 そう言えば、黒澤さんは若い頃、成瀬組に助監督でついていましたね。
香川 ええ、珍しく私も参加したお酒の席で伺ったのですが、黒澤監督が「成瀬さんは怖いよ」と仰って。
川本 へえ! 怖いというのは意外です。
香川 どうしても芝居が気に入らない俳優がいると、成瀬監督は、一応撮って、でも、編集でカットしちゃう。それで黒澤監督が「怖いよ」(笑)。監督さんのお仲間で飲みに行っても、成瀬監督はちょっと離れて、独り静かに飲んでいらしたそうです。
川本 今日は何だか「おかあさん」の話を中心に、成瀬作品の魅力を語る、という形になりました。私の大好きな映画ですが、香川さんは他にもたくさんお仕事されてきたのに、申し訳なかったです。
香川 いいえ。私、あの年子って役をすごく好きなんです。それまで自分の個性がどういう役に向いているかなんて考えたこともなかったのに、「おかあさん」で、「あ、私はこういう庶民的な明るい役が合ってるのかな」と初めて意識したんです。体ばかり大きくて、中身はまだ子どもっていうのが、あの当時の自分にピッタリで、すごくのびのびとやれました。
川本 今でも時々、ご覧になりますか?
香川 最近、あちこちで上映されるんですよ。盛岡で映画祭があって、私の出た中から「モスラ」(61年、本多猪四郎監督)と「おかあさん」をやって下さったり。
川本 妙な取り合わせですね(笑)。
香川 でも、どこか近いのかもしれませんね。「モスラ」の明るく元気な役、自分でも好きですよ。今年の夏にソウルの国際女性映画祭で、私の映画を七、八本上映して下さった中にも、この二本が入っていました。「おかあさん」は秋にあった新文芸坐の成瀬特集でも上映されましたし、川本さんの今度のご本でもたくさんページを割いて下さって。
川本 当初からフランスでは評価が高かったといいますが、あれは名作ですよ。もちろん、語り草になっている香川さんが花嫁姿になる場面の可憐さたるや……。あれが初めてですよね、花嫁姿?
香川 そうなんですけど、あの後、文金高島田の花嫁は何回もやったんです。「悪い奴ほどよく眠る」でも「女囚と共に」(56年、久松静児監督)でも、テレビでも。だから新鮮味がなくなって、自分が結婚する時はウエディングドレスがいいなと、教会で式を挙げたんです(笑)。
(かがわ・きょうこ 女優)
(かわもと・さぶろう 評論家)