書評・エッセイ

2015年1月号掲載

さわやかに笑って泣いて、心洗われる

――梶よう子『ご破算で願いましては みとや・お瑛仕入帖』

中江有里

対象書籍名:『ご破算で願いましては みとや・お瑛仕入帖』
対象著者:梶よう子
対象書籍ISBN:978-4-10-120951-7

 働き始めて早四半世紀たつが、いつまでも不安定な地盤によろよろと立つように、仕事を得て暮らしている。この商売は安定とは無縁だ。本書で描かれる商いもおんなじ。しかし知恵と工夫次第で売り上げが変化するからおもしろい。江戸を舞台にした「よろずや繁盛記」。
「江戸時代の百均」ともいえる三十八文店を出したのは、お調子者の兄・長太郎としっかり者の妹・お瑛。すべて三十八文均一だから三、十、八で屋号は「みとや」。
 ただし売っているものは現代の百均とは少し違う。長太郎が仕入れてくる品々は大量のそろばん、曰く付きの守り刀、恋歌の書かれた絵皿、と訳ありものばかり。風来坊の兄に振り回されながら、店を切り盛りするお瑛。二人が「みとや」を開くことになったいきさつ、若い兄妹を見守る面々、店を訪ねる不思議な客たち、意外な人物の素性が明かされて……とテンポよく物語はすすんでいく。
 なんといってもお瑛が魅力的だ。健気で兄思い、臆病で心配性。五年前、大川にかかる永代橋が真ん中から折れるという惨事で両親を失った。そのせいでお瑛は大川にかかるどの橋も渡れなくなった。
 どうしても橋を渡れないお瑛の心情を思うと、自然と涙があふれた。橋を渡れない原因は、体ではなく心の問題である。きっとわたしにも渡れない橋のようなものが心のどこかにあるのだろう。時々作り話である小説が恐ろしいほど自分の人生に食い込んでくることがある。今回はまさにそう、お瑛の気持ちに思いがけず涙腺を刺激されてしまった。
 ところがお瑛は、舟の櫓を握るとめっぽう強くなる。車のハンドルを握ると性格が変わる人と同じく、その変貌ぶりに長太郎もびっくり。読む方も愉快痛快。収められた六つの短編のクライマックスともいえる場面で、お瑛が猪牙舟(ちょきぶね)を出すと「待ってました!」と声をかけたくなった。
 一方長太郎は、いつまでも商売に身が入らず、若旦那気質が抜けない。のちにわかってくることだが、長太郎なりの若気の至りや後悔を抱えている。普段は駄目な兄が、時々見せる男気は「ちょっとずるいけど……カッコいいぞ!」とひそかに思った。
 一話一話に読みどころがあるが、印象的なのは最終話『化粧映え』。バラバラに散らばっていた人間関係が明らかになり、お瑛たち兄妹の運命を決定的に変えた人物が浮かび上がってくる。
「人と人は繋がっている。助けたり、助けられたり。でも、その縁はよいものばかりとは限らない。憎んだり、憎まれたり。苦しめたり、苦しまされたり。
 それもまた人の繋がりなのだ」
 繋がっているから苦しい。繋がっているから憎しみが生まれる。たとえば家族は何物にも代えがたい存在だが、それゆえに反発してしまう。繋がりは絆にもなるが、自由を奪う鎖にもなる。そうかと思えば、赤の他人を救ったり、救われたりすることもある。表題作に登場する道之進・直之親子は、お瑛が救ったのも同然。自暴自棄になった父を救ったのは息子の直之だった。
 もうひとつ読みどころを挙げるなら「みとや」の商いだ。食べ物以外なら何でも売るという「みとや」はどれも三十八文。値段に見合った品もあれば、長太郎の無茶な仕入れのせいで、売っても売っても赤字の出る品もある。客は掘り出し物を探す楽しみがあるし、売り手は客が満足してくれるのが嬉しい。
 人は一人では生きていかれない。それが身に沁みてわかるのは、不幸にも人との繋がりが絶たれたときだ。商いは、人と人を繋ぎ、品を介して喜びや楽しみを分かちあうのだ。
 生きていくにはまず食べること。食べるためには働くこと。お瑛が悟った真実は、物があふれる現代でも通じる。
 さわやかに笑って泣いて、心洗われた。

 (なかえ・ゆり 女優・作家)

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