書評・エッセイ

2015年2月号掲載

本当のこと

――吉田篤弘『ソラシド』

吉田篤弘

対象書籍名:『ソラシド』
対象著者:吉田篤弘
対象書籍ISBN:978-4-10-449104-9

 かれこれ十年ほど前に、新潮社から『針がとぶ』という小説を上梓した。その連作短編集は、表題どおり、レコードの針がとぶように、ところどころ話がスキップして詳細が語られない。意図的にそのような書き方をしたのだが、今回、十年を経て、あたらしい小説を執筆するにあたり、担当編集者のTさんに、「今度は、針がとばない小説を書いてください」と、あらかじめ念をおされた。
 じつは、『針がとぶ』に限らず、自分の書いてきた小説は、本来、書かれてしかるべき情景や思い、といったものをスキップさせているものが多い。スキップしないと、自分の「本当のこと」が必要以上に露呈しそうになるからだ。
 とはいえ、小説の芯には「本当のこと」というか、隠しておきたいあれこれがドクドクと脈打っているべきで、読者として他人の本を読むときは、「もっとそいつを曝してくれ」と野次を飛ばしている。なのに、いざ、作者の立場になると、「今日はこのへんで」と尻込みしてしまう。本来の自分の一人称は「おれ」なのに、「ぼく」や「私」といったかしこまった自分を楯にして、なるべく恥部を曝さないよう、ごてごてと着込んできた。
 が、今回はいわば薄衣一枚で舞台に立ちなさい、というリクエストなので、覚悟を決めて、一人称を「おれ」に定め、自分の経験を、日記をひもとくようにして書いた。舞台は一九八六年と二〇一〇年代の前半=現在である。
 一九八六年に自分は二十四歳で、来る日も来る日もさまざまな雑誌のレイアウトの仕事をしていた。世はバブル景気に突入して賑やかだったが、そのころの自分の日記には、華やかな空気から逃げ出して、ひたすら街の路地裏をうろついていた日々が書きなぐってある。毎日、レコードばかり買っていた。そのころは街の至るところにレコード屋があり、出来たてのレコードが世界中から路地裏の少々怪しげな小さな店に届けられた。音楽の世界はインディーズが興隆して成熟期に至り、まったく得体が知れず、何の情報もない未知のレコードを勘だけを頼りに買いあさっていた。そして、日記にもたびたび書いてあるが、とにかくなにしろ路地裏はひどく寒かった。一九八六年は一年中冬みたいで、何よりその冷えた空気をこの小説に書いた。
 ところで、タイトルの「ソラシド」は、その一九八六年の冬の空気の中で、人知れず活動をしていた女性二人組ミュージシャンのユニット名である。こう書くと、いかにも実在していたかのようだが、あくまで、この小説の中にだけ存在する架空のユニットだ。
 小説の中でも、最初は幻のように実体がなかった。主人公の「おれ」が、わずかな手がかりを頼りに探ってゆくと、次第に幻の輪郭があらわれ、やがて、二人の女性が寒空の下で吐く息までも感じられるようになる――。
 それは小説の中の出来事なのに、書きすすめるうちに現実の側にしみ出してきて、終盤を迎えるころには、あの当時、本当に「ソラシド」という名の二人組が誰にも知られることなく音楽をつくっていたのだ、と信じられた。
 念頭に置いた「針がとばない小説」は「忘れられたものを取り戻す小説」に発展し、幻であった「ソラシド」をこちらへ引きずり出したことで、ひとまず、リクエストに応えられたのではないかと思う。
 が、書き終えたいま実感するのは、こうして輪郭を得て息づいている「ソラシド」の向こうに、名も知れぬ、まったく姿かたちの見えないミュージシャンたちが無数にいたという事実だ。連載の最終回を書き終え、自然と足が向いたのは行きつけの中古レコード屋で、あのころ買いそびれていた未知のシングル盤を見つけて迷わず購入した。知らないバンドの知らない曲だ。針を落として聴いてみると、あてずっぽうで買ったのに、ものすごくいい曲で、気持ちよく聴いていたら、キズがついていたらしく、途中で針がとんだ。
「本当のこと」をめぐる探求は、まだ始まったばかりなのだと教えられた。

 (よしだ・あつひろ 作家)

最新の書評・エッセイ

ページの先頭へ