書評
2015年2月号掲載
『冷蔵庫を抱きしめて』刊行記念特集
もし診察室にやってきたら
――荻原浩『冷蔵庫を抱きしめて』
対象書籍名:『冷蔵庫を抱きしめて』
対象著者:荻原浩
対象書籍ISBN:978-4-10-123038-2
「精神科医として30年近く仕事をしてきて、いちばん感じる変化は何ですか」とよく質問される。そのときは決まって、先輩精神医学者が語った言葉を引用させてもらう。「山の標高は低くなったけれど、すそ野が広がったのです」つまり、統合失調症や躁うつ病など従来からある精神疾患は治療法の進歩などによりそれほど手ごわい相手ではなくなりつつあるのだが、それと入れ替わるように「軽いけれど治りにくい病気」「病気かどうかもわからないような問題や状態」が増えつつあるのだ。よりわかりやすく言えば、「健康と病気のあいだのグレーゾーンが広がった」ということだ。
この作品集には、そんな「山のすそ野」の風景がいっぱい出てくる。『ヒット・アンド・アウェイ』の雪乃は、内縁の夫の暴力、つまりDVに苦しんでいる。とはいえ、すぐに警察を呼ぶほどの致命的な暴力ではない。雪乃の夫は何らかの心の病なのか、また雪乃は暴力のトラウマから心を病んでいるのか、というと、そうは言い切れない。かと言って雪乃たちが健全なカップルかというと、到底そうは言えない。
雪乃がもし診察室にやって来たら、私は彼女に何らかの病名をつけるのだろうか、いや……と考え始めたら胸がドキドキしてきた。しかしありがたいことに、彼女が選んだ“駆け込み先”はメンタルクリニックではなかったのだ。そう、グレーゾーンの人たちを癒すのは、必ずしも医療機関やカウンセリングルームとは限らない。
『冷蔵庫を抱きしめて』の直子は食べて吐くのが止まらず、『マスク』の沖村は他人からの視線が苦痛で常にマスクを着用している。前者が診察室に来れば「過食症」、後者は「醜形恐怖症」と診断することになるだろう。ところが彼女たちが選んだのも、医療機関による手当てではなかった。そうであるなら、この人たちは「病気」ではない。もちろん、その問題を解決に導いたのも薬や専門家のカウンセリングなどではなかった。
とは言え、みながみな「診察室の外」に癒しや答えを見つけているわけではない。百貨店で接客しながら思ったことをすべて口にしてしまう、という悩みを抱えている礼一のように、自ら心療内科を受診する人もいる。しかし、メンタル医は案の定、「ADHD」「強迫性障害」「アスペルガー」などと次々、病名を口にしては、患者である礼一から「どうしても病名をつけたいらしい」とあきれられる。礼一の言葉は、私の胸にも突き刺さった。
「いまの世の中は、『人に病名をつけたい病』に罹っているのだ」
その後、もちろん礼一も「診察室の外」に解決の糸口を見出していく。
私はときどき、マスコミの要請に応じて「政治家の言動」や「女子高生に大人気のキャラクター」などを“分析”することがある。「この人は相当、不安が強いですね。だからそれを隠すために断定口調でまくし立てているのです」などと解説すると必ず「それにあえて病名をつけるとすると」と言われ、「まあ、精神分析学で言う『躁的防衛』ですかね」などと答えるとようやく納得してもらえる。この作者が言うように、世の中じたいが「人に病名をつけたい病」にかかっているのだろう。
それにしても、“病気ギリギリ”の人たちの心模様や生活ぶりをときにユーモアを交えた視点から眺め、診断名や心の専門家を極力、登場させることなく、その人たちが自分の力で解決の糸口を見つけていくさまを描いた著者の人間観察力や洞察力には驚かされるばかりだ。読者は8篇のどれかに自分を重ね、主人公といっしょにあくまで日常生活の中での回復の道のりをともに歩むことによって、「まあ、私もなんとかなりそうか」と自分の重荷も軽くなったような気がするに違いない。私も今度、診断名をつけるまでもない、クスリを出すまでもない人が診察室にやって来たら、本書を差し出しながらこう言おう。
「あなたがするべきことは、ここで私から病名を与えられることではなくて、この本を読んでみることですよ」
(かやま・りか 精神科医)