書評

2015年2月号掲載

正真正銘の「銀行小説」の誕生

――波多野聖『メガバンク絶滅戦争』

大多和伴彦

対象書籍名:『メガバンク絶滅戦争』
対象著者:波多野聖
対象書籍ISBN:978-4-10-120361-4

 この国に暮らす者の中で、銀行とかかわりを持たぬ人はほとんどいないだろう。自分名義の口座は誰もが持っているはずだ。今や労働の対価を現金で受け取ることはまれだろうし、年端もいかぬ子供に、親たちが彼らの将来のために開いたものから、仕事をリタイヤした人々の、年金の受け取りや、それまでの蓄えを預けているものまで、私たちのほとんどは、おのれの暮らしの土台である蓄えを銀行にゆだねている。だが、そこで働く者たちの素顔を知ることはほとんどない。
 その一方で、ニュース報道などから伝わる銀行の情報は、大手銀行の合併・再編に象徴されるように、私たちは、なにか大きな流れによる変化をただ甘んじて受け入れるしか術がなく、その時思うのはただ「自分の預け先が潰れて虎の子が紙くずになりませんように」ということだけではなかろうか。
 銀行を舞台にした小説が注目を集め、映像化作品が高視聴率を獲得する――ここ一、二年のエンターテインメント界では、「銀行もの」がブームとなっている。だが、大袈裟なセリフ回しの登場人物が繰り広げる権謀術数合戦や、なぜか毎週どこかの支店で問題が発生し、そこへ乗り込んだ女子行員が快刀乱麻を断つごとくそれらを解決する勧善懲悪のストーリーなどは、気晴らしとしては最適ではあっても、本当に知りたいことは、なにもわかりはしなかった。
 しかし、今回刊行される波多野聖著『メガバンク絶滅戦争』は、違う。
 東西帝都EFG銀行を舞台に展開する物語の中で起こる事柄は、事実を下敷きにしている。だが、私たちがページをめくりながら目の当たりにするのは、決してニュース報道などからは知るよしもなかった「当事者」たちの姿だ。
 はたからみれば盤石そうに見えるメガバンクといえども、つねにその経営は国のチェックにさらされ脅えている。それを大過なくクリア出来たとしても、折りに触れて飲まねばならぬ無理難題――本作では、二度目の東京オリンピック開催準備資金として、超長期国債(三十年債で三兆円!)を東西帝都EFG銀行が引き受けることになるのだが、さすがに、この常識はずれの国の要求に対し、ある交換条件を銀行側は提案する。ネタバレになるので、詳細をここでは割愛するが、それは、あまりにシンプルで、なぜ、そんなことに拘泥するのかと耳を疑うような条件であった。しかし、それこそが「銀行」そのものの、そこで生きる「人間」の本質を現していることが、やがて明らかになっていく。そして、それがいかに市井の者たちの感覚と乖離しているかに戦慄することだろう。
 天才的な相場感覚で銀行の危機を乗り切ろうとする者。地道な努力と人柄で窮地を救うもの。合併につぐ合併の中で辛酸をなめてきた行員人生を、このピンチに乗じて一発大逆転するチャンス、と画策する者。巨大な資金力と豊富な情報量を武器に、東西帝都EFG銀行に迫る海外ファンド・マネージャー……。脇役にいたるまで、おのおのが人生の岐路に立たされ、一瞬たりとも気を許せぬ展開の中でもがきながら高度な判断を求められ行動していくストーリーは、予断を許さぬ面白さだ。
 著者の手柄は、それらの人物たちを、物語の駒としてではなく、彼らのこれまでの人生と現在の私生活(家族のある者はその脆弱な団欒を、ひとりで生きるものはその孤独と胸に抱いている諦念)を緻密に描くことで、彼らが今なぜその立場におり、なんのために大きな賭けに身を委ねるのか――それを、読む者に切実に伝えることに成功しているところだ。
 著者が波多野聖として作家デビューする以前の経歴(藤原敬之 名義)は、カリスマ・ファンド・マネージャー。五千億円以上を運用してきた華々しい実績の持ち主だった。その華やかさの陰につねに寄りそう、人間の「欲」と「脆さ」と、なけなしの「矜恃」を見てきた人物だからこそ、本作の登場人物たちを血肉の通った人間として描けたのだろう。
 これまで著者は「カネ」と「ヒト」の赤裸々な関係や、魑魅魍魎が跋扈するような「相場」の世界を活写してきた。だが、それらはいずれも過去を舞台にした物語――読む者の胸に切実に迫る「いまそこにある真実」の恐さと魅力を、著者が初めて私たちに突きつけた本作『メガバンク絶滅戦争』は、作家・波多野聖の本領がついに発揮された傑作、と言って過言ではないだろう。

 (おおたわ・ともひこ 文藝評論家)

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