書評・エッセイ

2015年2月号掲載

危ないのは中国よりもロシアだ!

――トム・クランシー&マーク・グリーニー『米露開戦(全4巻)』(新潮文庫)

田村源二

対象書籍名:『米露開戦(全4巻)』(新潮文庫)
対象著者:トム・クランシー&マーク・グリーニー著/田村源二訳
対象書籍ISBN:978-4-10-247257-6/978-4-10-247258-3/978-4-10-247259-0/978-4-10-247260-6

 トム・クランシーがジャック・ライアン・シリーズでめざしたのは結局のところ「祖国の安全保障にとって脅威となる国や組織との戦いを娯楽小説という形で緻密に描き、今どういう行動が必要なのか読者に楽しみながら考えてもらう」ということだったのだと思う。
 二〇一三年一二月に原作が出版されたクランシーの遺作『米露開戦』も、この基本理念をしっかりと踏襲している(クランシーはまことに残念ながら、この作品を書きあげた直後の二〇一三年一〇月に六六歳で他界してしまった)。シリーズ最後の三作の執筆に参加してクランシーを大いに助けた俊才マーク・グリーニーは、ハフィントンポスト・アメリカ版のインタヴュー(二〇一四年一二月)で次のように語っている。
「現在、アメリカの安全保障をおびやかす最大の脅威はロシアのプーチン大統領だと思う。イスラム国よりも危ない存在だ。……最近、中国の脅威、とくにそのサイバー戦能力が問題にされることが多いが、わたしの調査では中国は最終的にはアメリカと協力しなければ国益を守ることができない。だがプーチンの場合、さまざまな理由から、逆にアメリカに対抗しなければ自己の利益をはかれず、中国よりも危険だ」(筆者の要約)
『米露開戦』のストーリーはまさにそうした分析に基づいて展開される。むろん作中に登場するロシアの大統領はプーチンさんではなく、ヴォローディンという架空の人物だが、明らかに現大統領をモデルにしている。どちらもKGB出身で、現在ロシアの権力中枢を牛耳るシロヴィキと呼ばれる情報・治安・国防機関出身者たちの頭目であり、メディアをほぼ完全に支配している。作中、ヴォローディン大統領の命令で、イギリスに亡命して反体制活動を繰り広げる元SVR(ロシア対外情報庁)長官が放射性物質ポロニウム210で暗殺されるが、これはあのリトビネンコ中毒死事件にそっくりだ。
 そして作中で描かれるロシアによるウクライナへの侵攻が、そのままの形ではないにせよ現実にも起こってしまった。現実世界のウクライナで、反政府勢力による大統領府など政府庁舎の占拠、親露派のヤヌコビッチ大統領の失脚、ロシアによるクリミア併合、東部での政府軍と親露派武装グループとの戦闘……とエスカレートしていったのは、二〇一四年二月以降だから、クランシーはロシアの介入によるウクライナ危機を『米露開戦』で見事に予見したことになる。
 だが今回、クランシーが繰り出した瞠目に値する大技は、「KGBの一派が八〇年代半ばにソ連の崩壊を確信し、自分たちのサバイバルのために秘密資金を蓄え、それを非情な暗殺者に護らせた」という設定だろう。なるほど、そうであれば、崩壊後のロシアでなぜシロヴィキがあっというまに権力を独占してしまったのか説明がつく。そしてさらに、それにはロシア・マフィアの力も大きく与かっていた、とクランシーはたたみかける。
 佐藤優氏が数年前から「新帝国主義」という言葉を使って二一世紀の国々の生き残り戦略を説明されている。その戦略をいちばんわかりやすい形で実行しはじめているのは、やはりロシアと中国だろう。だからこそ、トム・クランシーは前作『米中開戦』で中国の脅威に対する戦いをきちんと描き、今回『米露開戦』でウクライナ危機を中心に据えてロシアの脅威を鮮烈に描いて見せたのだ。クランシーが描くのは、あくまでもアメリカの国益、国民を護る戦いであり、その点を注意する必要があるが、『米中開戦』『米露開戦』の二作は日本の読者にも祖国の安全保障問題を考えるきっかけを与えてくれる貴重な娯楽小説と言えるだろう。なにしろ日本は、帝国主義的欲望を剥き出しにしはじめているロシアと中国を隣国にもつという地政学的現実にさらされているのだから。
 巨星トム・クランシー亡きあと、“面白くてためになる”国際軍事インテリジェンス小説は途絶えてしまうのかと途方に暮れていたところ、俊英マーク・グリーニーがシリーズを継承するという嬉しい知らせが飛び込んできた。グリーニーはすでにスピンオフ作品のほかに本編の新作も発表し、その敵役となる国はなんと北朝鮮だ。これからも日本の読者はジャック・ライアン・シリーズから目を離せない。

 (たむら・げんじ 翻訳家)

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