書評
2015年3月号掲載
「団塊」に効く小説
――清水義範『朦朧戦記』
対象書籍名:『朦朧戦記』
対象著者:清水義範
対象書籍ISBN:978-4-10-128221-3
『朦朧戦記』第一章は「敬老クイズ合戦」ではじまる。
「ははあ、これはアレだ……」
と私は思った。むかし『さんまのからくりTV』っていう高視聴率の番組があって、その中の人気コーナーに「ご長寿早押しクイズ」というのがあったのだ。
大昔のクイズ番組を思わせる、NHKのアナウンサーめく司会者が出てきて、ごくやさしいクイズともいえないような出題をする。
解答者は八十歳以上の老人が三人で、年齢をいう自己紹介から始まるのだが、年寄りは制作者側の段取りを覚えられないで、トンチンカンな対応をくり返す。
二十年くらい前だから、その頃からTVがTVの段取り自体をネタにする風が始まっていたかもしれない。そういえば、いまでもTVは、何かというとクイズだが、近頃ではクイズにまともに答えずに、わざと誤答、珍答を返すというのが段取りになっている。
芸人には「ボケ」る義務があるみたいだ。あるいは、こんなふうになったのも、この「ご長寿早押しクイズ」のあった影響なのかもしれない。
とにかく、老人は想像もつかないような珍答をするので、私は毎回大笑いしていた。わけのわからないナンセンスな解答が出てくるのは「年寄りだからだろう」と思っていた。
どういうスジミチで、あんなナンセンスな笑いを引き出せるのか? と考えたこともあったけれども、まだ四十代だった私は、それは「年寄り」になってみなくちゃわからないことだとあきらめていたらしい。
読みすすめるうちに、現在六十七歳である私は、同年輩の小説家が、私のようにはあきらめずに、かなりこの笑いのカラクリに肉迫していたらしいのに気がついた。
そうして、老人になること、モウロクをすることを無邪気に笑ってるばっかりじゃなく考えたのに違いない。
この小説は、年寄りが妙なことを言ったり、変なことをするのを、無邪気に笑う小説ではない。若い人から見たら、団塊の世代は堂々たる老人であろうけれども、本人たちは少しもそう思っていない。
団塊である小説家・清水義範も、おそらく自分を老人と思っていないだろうけれども、しかしまた、単なる団塊でもないのだから、老人とはどんな人々なのか、老人はどんなことを思い、どんなことを欲している人々なのか深く見つめているのだった。
この小説は、団塊の世代の心にひびくだろう。ゆさぶるだろう。「ご長寿クイズ」の老人たちを、無邪気に笑っているのとは違う、実効のある小説である。
当然のことなのだが、六十代後半にさしかかった団塊と、ご長寿クイズ世代の八十代は地つづきである。その地つづきである実感をこの小説は手渡してくるのだ。
読みすすむうちに、小説はどんどん途方もないことになっていく。安心してニヤニヤ笑って読んでいられる、そういうユーモア小説ではないのだ。
しかしそれは、安心してニヤニヤ笑って読んでいられる小説より、断然おもしろい。ごくごくふつうな、常識の範囲内にいるような人々が、だんだん、だんだんと、ヘンなことに、妙なことになっていって、読者もそのまま、ヘンな方へ連れ出されていくだろう。
まるで、催眠術にかけられるように。
そうして小説は次のようなフレーズで終る。
「老人にとって、こんな楽しい時代はなかった。」
団塊の世代のおよそ五十パーセントの人々は、自分を老人だと思っていない。残りの五十パーセントにあたる人々が、自分を老婆だと思うはずがない。
といったのは私であるが、これはひとり、団塊の世代にかぎったことではないのであって、つまりこの世の中に、心の底から自分を老人であると思っている人はいないのである。
人間はいくつになっても老人にならず、ただ年月だけがおそろしいスピードで過ぎ去っていく。
(みなみ・しんぼう イラストレーター、エッセイスト)