書評

2015年3月号掲載

アメリカの反知性主義の根幹

――森本あんり『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書)

竹内洋

対象書籍名:『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書)
対象著者:森本あんり
対象書籍ISBN:978-4-10-603764-1

 二〇〇一年に小泉純一郎が自民党総裁に就任する。「自民党をぶっ壊す」「郵政改革に反対する者は抵抗勢力」などのワンフレーズが選挙民に訴求力をもった。テレビを舞台としたその政治手法は「小泉劇場」といわれ、ポピュリズムという用語がリアルになりはじめた。ポピュリズムは既得権への攻撃という情念の政治であるから、反知性主義と手を携えている。
 はたせるかな、そのあと「本を読んで、くっちゃべっているだけ、役立たずの学者文化人」という橋下大阪市長の臆面なき発言に象徴される反知性主義的空気がたちこめてきた。日本社会のヤンキー化という論題もでてきた。ヤンキーは、くだくだしい理屈を毛嫌いし、インテリ系をオタクとして憎み蔑む。ヤンキー・ハビトゥスという反知性主義が前景化しはじめたのである。
 反知性主義といえば、アメリカをただちに思い浮かべる。その分析の金字塔といわれるものがホフスタッター『アメリカの反知性主義』である。反知性主義の歴史的原因がつぎのようにいわれている。知識階級ではなく、庶民の英知を持ち上げた人民民主主義の政治の唱道。実用一点ばりの大衆教育重視。そして、その根源がアメリカの宗教生活の特異性、つまり福音主義(回心にもとづき教会よりも聖書に立ち返る宗教改革運動)の宗教的民主主義にあるとしている。
 ところがこの肝心要の宗教的反知性主義のホフスタッターの説明が、複雑なアメリカ宗教の布置に疎い日本人読者には実にわかりにくい。評者もこの大事な部分を途中で放棄してつぎの章に移ったことを憶えている。それだけに喉にひっかかった小骨のような思いをひきずってきたが、本書の精緻かつ巧みな筆力によって、見事にその骨がとれた。
 本書は、アメリカに宗教的反知性主義が生まれたのは、初期のピューリタンの厳格といってもよい知性的な宗教生活とそれにもとづく知の支配へのバックラッシュだとする。貴族制の伝統を欠いたアメリカであればこそ知の支配はヨーロッパ以上のものになったからである。そこで生まれたのが福音主義的な信仰復興運動である。高邁な知性よりも素朴な無知や謙遜こそが信仰に大事とされ、神の前では万人が平等であり、誰でも司祭になり得るとされた。この宗教的反知性主義は宗教的民主主義であり、アメリカの反知性主義の根幹をなしているとする。
 そのためにフィニー、ムーディ、サンデーなどの福音伝道の立て役者のパフォーマンスのさまを動画をみるように臨場感あふれる筆致で描く。「日本教」ならぬアメリカ文化や政治のもとにある「アメリカ教」(アメリカ型キリスト教)の来歴と布置が手に取るようにわかる。
 著者が「はじめに」で言うように本書はホフスタッターの見立てを出発点にして書かれている。しかし、本書はホフスタッター本のわかりやすい版というわけではない。むしろホフスタッター本をアップグレードしている。ホフスタッター本はマッカーシズムの悪夢が覚めやらぬときに書かれたぶん反知性主義を病理としてしまっているのに対し、本書は反知性主義にネガティブなレッテルを貼ることでよしとしないからである。
 アメリカの反知性主義が宗教的反知性主義に由来するということは、反知性主義が宗教的使命にうらづけられた「反権威主義」であるということだ。だから反知性主義は必ずしも知性そのものに対する反感ではない。知性が特権階級だけの独占的な所有物になることへの反発であるとしている。だから反知性主義には知識人が果たすべき役割もみられるという卓見も披露されている。吉本隆明の「大衆の原像」のひそみにならって言えば、「反知性主義の原像」を掬い上げているところが本書の圧巻部分である。
「あとがき」で著者は、真正の反知性主義がでるためには、「相手に負けないだけの優れた知性が必要だろう。と同時に、知性とはどこか別の世界から、自分に対する根本的な確信の根拠を得ていなければならない」。そういう反知性主義があらわれることで、既存の秩序と違う新しい価値の世界が切り拓かれると述べている。すぐれた洞察に舌を巻く力作である。

 (たけうち・よう 社会学者)

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