書評
2015年3月号掲載
「資本主義化」した庶民が握る北朝鮮の未来
米村耕一『北朝鮮・絶対秘密文書 体制を脅かす「悪党」たち』
対象書籍名:『北朝鮮・絶対秘密文書 体制を脅かす「悪党」たち』
対象著者:米村耕一
対象書籍ISBN:978-4-10-610608-8
2013年春までの3年間、私は毎日新聞の北京特派員として、主に中朝国境の中国側から北朝鮮ウォッチを続けた。その間、「いい加減、中国式の改革開放で良いから、北朝鮮も市場経済を受け入れたらいいのに」と何度思ったかわからない。国境沿いを走るバスにちょっと乗っただけでも、中朝間のすさまじい経済格差が嫌でも目に入ってくるからだ。言うまでもなく、豊かなのは中国側である。
社会主義から資本主義、計画経済から市場経済への移行が世界の大勢になって、もう25年が経つ。しかし、北朝鮮の指導部はそうした流れに対して、最近でも「資本主義が復活した悲劇的事態」(2014年7月21日付「労働新聞」社説)と嘆き、反発している。「時代錯誤」と言うほかない政策を、まだ変えるつもりはないようだ。
では、北朝鮮の一般住民たちの考えはどうなのだろうか。じつは、指導部の頑迷固陋さに対して一般住民たちは、柔軟に思考して、表向きは指導部に従いつつ、彼らなりの方法で抵抗している。
私は取材の過程で、そうした抵抗や反発の実態が赤裸々に描写された、決定的な内部文書を入手した。それが、この本で紹介する北朝鮮の検察機関が作成し、「絶対秘密」に指定された文書だ。
検察幹部向けの教養資料として、いわば実務の参考用に作られたものなのだが、そこには2006~09年にかけて各地の検察所が取り組んだ経済事件の詳細な捜査記録が盛り込まれている。
北朝鮮指導部は、犯罪を自国の恥部と捉え、対外的にはほとんどその実態を公表しない。だからこの検察文書は、かの国の社会的実情を示す希少な情報がぎっしり詰まったものだ、と評価しても過大ではないだろう。
文書に登場する「犯罪者」たちが手を染める行為は、なかなかダイナミックだ。世界遺産指定の直前にあった文化遺産を盗んで中国に売り飛ばそうとしたり、軍や政府の地方幹部を抱き込んで金鉱のヤミ開発にいそしんだりしている。
彼らに共通するのは、法律や規制をものともせず、「なんとかして豊かになりたい」と行動するエネルギーの高さだ。単に「犯罪者」と呼ぶより、体制に強(したた)かに逆らう「悪党」と呼ぶ方がぴったりくる。こうした悪党たちを含め、社会主義政権が規制するヤミの商行為に勝手に取り組む生き方が、すでに北朝鮮国内では主流になりつつある。
中国に出てくる北朝鮮住民たちも、自国のそうした状況を「上は社会主義でも、下はすでに資本主義」と口を揃えて証言する。そして、こうした変化こそが、指導部にとって最も脅威なはずだ。
北朝鮮を巡っては、核開発問題、拉致問題など日本にとって重要な課題が存在する。また、金正恩第1書記の動向からも目が離せない。
しかし、中長期的な北朝鮮の行方を占う際、最も重要なのは、北朝鮮の経済・社会の本体を担っている庶民層の動向だと思う。その手がかりを本書から見いだしていただけるとうれしい。
(よねむら・こういち 毎日新聞・外信部記者)