書評

2015年4月号掲載

大義とは何かを水戸黄門に学ぶ

――佐伯泰英『光圀 古着屋総兵衛 初傳』(新潮文庫)

重里徹也

対象書籍名:『光圀 古着屋総兵衛 初傳』(新潮文庫)
対象著者:佐伯泰英
対象書籍ISBN:978-4-10-138034-6

『光圀 古着屋総兵衛 初傳』は「古着屋総兵衛影始末」シリーズ(全十一巻で完結)、書き進められている「新・古着屋総兵衛」シリーズ(九巻まで刊行)の前史を描いた小説だ。両シリーズの原点を示す重要な一冊になっている。
「総兵衛」シリーズを二つの特質から振り返ろう。
 まず、老舗の古着問屋という商家の経済活動が、物語の全体を貫いていることだ。主人公の鳶沢総兵衛勝頼(六代目大黒屋総兵衛)を中心に、古着屋という組織が描かれる。流通や海運にも言及され、読者は天下のカネの動きも楽しめる。
 勝頼の下には、番頭から小僧に至る多くの者が働いている。彼らはビジネスをするだけではなく、「隠れ旗本」として徳川の世を守護する大義に生きている。徳川家が存亡の危機に陥った時には、敢然と戦うことを自ら義務づけている。そのために古着屋の本店は要塞のような構造をしているし、一族は厳しい武闘の訓練も受けている。
 このシリーズのもう一つの特徴は、音楽や舞があふれていることだ。その中心に勝頼の秘剣がある。無敵の秘剣は剛直でも意志的でもないし、いたずらな気合いも伴わない。無念無想の境地で舞うように相手を斬る。時にゆっくりと、時に軽快に、相手の内懐に入り、融通無碍の自然体で仕留める。自意識を捨て、宇宙の原理に自らを同化させるのだ。
 組織による商売というきわめて合理的な側面。ところが、その中心にある美的な無意識の剣。この二つが絶妙に合わさったところに、このシリーズの今日的魅力がある。なぜなら、グローバル化した経済活動を強いられ、自意識の持って行き場に悩んでいるのが現代人だからだ。
 このシリーズは完結後、さらに物語世界を広げている。続篇の「新・古着屋総兵衛」シリーズでは、鳶沢総兵衛勝臣(十代目大黒屋総兵衛)を筆頭とした人々の活躍が、スケールアップして楽しめる。

 さて、一つ、深刻な問題がある。鳶沢一族の大義の中身とは何かという難問だ。当代の徳川将軍と徳川家の利害が背反した時にどちらにつくか。あるいは当代将軍の意向が日本国全体にとっては害があると考えられる時に、どちらの側に身を置けばいいか。一族はそんな難問に直面する。
 この問題は多くの現代人にとって、他人事ではない。たとえば、社長室の方針と現場の意向が対立する時に、中間管理職のサラリーマンはどちらにつけばいいのか。会社の決定と社会の幸福が矛盾する時に、会社員はどう生きればいいのか。私たちは絶えず、そんな難問に巻き込まれかねない。
 この『光圀』はこの難問に対して、主人公の勝頼がある確信を得る過程を描いているように思う。それは、後に続く「古着屋総兵衛」シリーズに直接につながっている。
 六代目勝頼が十五歳の貞享五年(一六八八年)から、十三年後の元禄十四年(一七〇一年)までを往ったり来たりしながら、総兵衛と光圀のかかわりをつづっている。
 光圀とはいうまでもなく、第二代水戸藩主、水戸黄門のことだ。光圀は徳川幕府のありようを憂えている。五代将軍・綱吉のまずい治世に批判的だし、綱吉の側近たちが力を持ち過ぎていることに危機感を抱いている。
 若い勝頼はそんな光圀と接し、共に仕事をすることから、一族が生きる大義とは何かについて学んだのではなかったか。この一冊をシリーズの原点と呼ぶゆえんである。
 そんなことを頭の片隅に置くと、さらに興味深い一冊になるのではないか。物語の起伏を古着屋の四季とともに味わうのも楽しい。個性的な面々の会話、試練にもまれて成長する小僧の姿、ほのかな恋情。勝頼は組織の長として、使命(徳川家のために生きること)と状況(当代将軍の意向)の板挟みになりながら、考えを深めることになる。
 もちろん、この作品にも音楽や舞があふれている。流行した俗謡が聴けるし、クライマックスでは能「千手」が演じられ、謡が流れる。まるで舞踊を思わせる勝頼の剣が披露されることはいうまでもない。組織の抱える悩みも、宿命の重さも吹き飛ばすように、勝頼の剣は能に似て美しい。

 (しげさと・てつや 毎日新聞論説委員)

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