書評・エッセイ

2015年4月号掲載

運命の一冊

中森明夫『寂しさの力』

中森明夫

対象書籍名:『寂しさの力』
対象著者:中森明夫
対象書籍ISBN:978-4-10-610611-8

 運命ってあるんだな、とこの歳になって痛感した。きっかけは田舎の母からの電話だ。老いた母は「さみしい、さみしい」と泣き出した。その後、私はツイッターで〈人間のもっとも強い力は何だろう? さみしさの力じゃないか〉と発信した。未知の方からリプライがある。〈さみしさの本を書いてください〉。新潮社の常務取締役・石井昻さんだった。2011年6月4日の夜のこと。
 さみしさについての本を書こう。親不孝な私が一生に一度、母のために本を書く。母の人生を、さみしさを肯定するために。苦しい作業だ。尋常小学校出の母が読める文章でなければならない。書いては直しの繰り返し。時間ばかりが過ぎる。
 私が出逢った芸能人について書いた。上戸彩、松任谷由実、中島みゆき、パク・ヨンハ、彼らの根底には「さみしさ」がある。とりわけ、酒井法子だ。86年秋、デビュー前ののりピーと私は対談した。彼女が逮捕された09年、所属事務所の会長を取材して、彼の涙も見ている(「新潮45」4月号で私は28年ぶりに酒井法子と対話した)。
 スティーブ・ジョブズは捨てられた子供だった。ウォルト・ディズニーは親にひどい虐待を受けた。坂本龍馬は誰にも理解されず孤独な生涯を終えた。世界を変える偉人はみんな猛烈な「さみしさ」の持ち主だ。数多くの人物評伝を読んだ私は、それに気づいた。芸能人も歴史上の偉人も、さみしい人こそが成功する。彼らが精神的な「飢え」を、いかにパワーに換えたかを考え抜いて、書いた。
 執筆から一年を経て、母が病に倒れた。元気な母だったのに。私は病院に駆けつけ、母の手を握り、その耳元で書きかけの原稿を読んだ。翌々日、母は息を引き取った。82歳だった。未完成の生原稿は棺に入れて母と一緒に焼いてもらった。
 なんということだろう。私の本は間に合わなかった。一生に一度、母ちゃんのために書こうとした本なのに。これが運命か。もし神様がいるなら、なんて残酷なことをするんだ、と呪った。私は執筆意欲を失った。結局、原稿を完成させたのは、それから二年後のこと――。旅先の盛岡駅の待合所で、ノートに書いた。迷った末に最終章で亡くなった母のことを。書き終えた瞬間、涙があふれて止まらなくなった。母との本当のお別れだった。
 今にして思う。それこそ、この私がもっとも“さみしさの力”を発揮した瞬間だったのだ! 亡くなって、やっと自分にとって一番大切な人が母だったのだと気付いた。我ながら馬鹿息子だ。大切な人を失った“さみしさの力”によって本書は書き上げられた。私が母に捧げたこの本を、母は受け取らなかった。その反対に、すごいパワーを私にくれた。“さみしさの力”を。自らの命と引き換えに。もう自分はこれ以上の文章を書けないかもしれない――本書の最終章を読み直して、そう思う。この力が通じないはずがない。母から最期にもらったすごいパワーだ。ぜひ、本書を手に取ってほしい。55年、生きてきた自分が人生を賭けた本――運命の一冊だ、と思っている。

 (なかもり・あきお 作家・アイドル評論家)

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