書評
2015年5月号掲載
最悪な再会の意外な効能
――平山瑞穂『遠すぎた輝き、今ここを照らす光』(新潮文庫)
対象書籍名:『遠すぎた輝き、今ここを照らす光』(新潮文庫)
対象著者:平山瑞穂
対象書籍ISBN:978-4-10-135484-2
二〇〇四年にダークでマジカルな成長小説『ラス・マンチャス通信』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビューを果たした平山瑞穂氏は、実に多様な作品を生み出す作家だ。最近映画化されたSF的な設定で描かれる切ない青春恋愛小説『忘れないと誓ったぼくがいた』、生真面目すぎる女性会社員の一人称の文体がユーモラスで愛らしい『プロトコル』、伝説の彫り師を登場させた歴史エンタテインメント『彫千代』等々、新作を出すたびに読み手をワクワクさせてくれる。
文庫化の際に改題しロングセラーとなったのは『あの日の僕らにさよなら』。これは青春時代のイタイ思い出に向き合う男女の成長物語で、新作『遠すぎた輝き、今ここを照らす光』はその系譜にある作品といえる。
編集者の小坂井夏輝は三十一歳、文芸編集を希望して出版社に就職、念願の部署に配属されていたが、今はビジネス誌に異動となっている。正論をふりかざす真っ直ぐすぎる性格が災いして、大物作家を怒らせたのが原因の模様。そんな彼女が病欠の同僚に代わり、急きょ石膏像の制作工房に取材に行くことになる。そのオンボロ工房には年配の社長と若手の職人の二人しかおらず、夏輝とその職人、瀧光平は互いの名前を確認して驚く。二人は中学生の頃の同級生だったのだ。しかも、互いにとって、相手は苦い記憶しか呼びさまさない、できればいちばん再会したくない相手だったのである。
物語は二人の視点を交互に、再会してからの現在と、中学生の頃の苦い思い出、そして現在に至るまでそれぞれの歩んだ道が語られていく。中学生時代、孤高を気取っていつも一人で行動していた光平は、“正しいこと”ばかり口にして実行しようとする夏輝の態度を、単なるポーズだろうと決めつけて冷ややかな目で見ていた。そんな光平の、周囲を見下した目線を感じて居心地の悪い思いをしていた夏輝。誰とでも親しく“せねばならない”と思い込んでいた彼女は、彼と仲良くしようと接近して撥ねのけられ、傷ついたことがある。
その後、光平はアーティストを目指すが挫折して無職状態から現在の仕事に辿りついた。夏輝は同業者と結婚したものの離婚、しかしそのことは後悔していない。二人とも望み通りの人生を歩んできたわけではないが、だからといって、今いる場所が決して不満だというわけではない。光平は石膏像を作る仕事と誠実に向き合っているし、夏輝だってビジネス誌の仕事に満足してはいないが、プロとしてきちんと作業をこなしている。三十歳を過ぎた今、二人とも万能感に満ちていた中学生時代とは違い、挫折を味わい、多少は自分の短所も人の痛みも分かる年になっている。しかし充分大人といえる年齢になった今も、再会した二人はまた衝突してしまう。やはり相変わらず、互いにとって相手はコンプレックスを刺激する存在なのだ。しかも真っ直ぐすぎる夏輝と、斜に構える癖のある光平という、正反対の性格の二人である。互いにイタイところを突きまくり、さらに卑屈になってしまう彼らの会話の生々しいこと! ついムキになって自分の理屈を相手に押し付け、失敗して後悔に苛まれる姿は、滑稽であると同時に身につまされるものがある。
ただ、そんな“仇”と再会したからこそ、二人は自分の性格を、自分の来し方をきちんと見つめ直すことになる。なりたい自分になろうとあがいていた思春期の空回りを、家族をはじめ周囲との関係性を、仕事との向き合い方を、再確認していくのだ。それはちょっぴり辛い作業でもある。でもこの正反対の二人に共通する美点は、自分のダメな部分を、素直に認めようとする点だ。それはもともとの気質というよりは、三十路を過ぎて、酸いも甘いも経験して、今いる場所で生きていく覚悟があるからこそ、できることだ。
以前別の原稿にも書いたが、著者にとって記憶は重要なモチーフだと思われる。先述の『あの日の僕らにさよなら』も、思春期の負の遺産からどう卒業するかが大きなテーマとなっていた。本作の彼らは思春期を引きずっているわけではないが、それでも、心のどこかにずっとひっかかってきた記憶と改めて向き合うことにより、彼らのなかでほのかな精神的な変化が生まれていく。大げさにいえば、歴史を振り返ることで現在と未来を見据えていくのである。その過程を丁寧に描き出した本作は、自分と折り合いをつけて生きている大人たちへ向けた成長小説だといえる。きっと、我が身を振り返り、今を頑張る自分のことをちょっぴり好きになれる読者は多いはず。読後は、ほんのり甘い。
(たきい・あさよ ライター)