書評

2015年5月号掲載

母への怒りを乗り越えて

――片田珠美『怒れない人は損をする! 人生を好転させる上手な怒りの伝え方』

片田珠美

対象書籍名:『怒れない人は損をする! 人生を好転させる上手な怒りの伝え方』
対象著者:片田珠美
対象書籍ISBN:978-4-10-339231-6

 本書では怒りを上手に伝える方法について綴りましたが、私自身、そうすることで人間関係における問題を乗り越えてきました。その中でも大きかったのが、母との関係です。
 私は精神科医ですが、元々医者になりたかったわけではありません。研究者などは別として、医者はサービス業であり、コミュニケーション能力が要求されます。
 私は人付き合いがあまり得意ではなく、ものを書いたりすることが本当に好きだったので、文学部に進みたいと思っていました。
 ところが、進路を決めるにあたって、そのことを告げると両親、特に母は猛反対しました。私を医者にしたいと考えていたからです。私は広島の田舎の出身ですが、田舎でステイタスがあり、高収入の職業といったら医者か公務員くらいしかありません。加えて、母は姑との関係が良好でなかったため、娘の教育に成功して見返したいという気持ちもあったようです。母には勝てず、私は結局医学部へ進みました。
 母は自分が絶対に正しいと思っているようなタイプだったので、きっとそれが私のためだと思っていたのでしょう。誰だって自分のエゴイズムを認めたくはないですし、親の気持ちの中では子どもの幸福を願っているだけのつもりなのです。こうした支配欲求は、人間なら誰にでもあります。ただ、その人自身が満たされていない、ある種の欲求不満状態にある場合は、支配欲求が強くなりがちです。
 実際に私が医者になっても、まだ母は満足しませんでした。なぜなら、私が田舎で開業して、自分は孫に囲まれて暮らすのが母の夢でしたから。
 人間は死んでいくものですから、年を取ればとるほど、自分の永続性・不滅性を子どもという形で残したくなるとフロイトも言っています。おそらく母にはそういう気持ちもあったのでしょう。
 でも私は、母のような母親にはなりたくありませんでした。ちょうど給費留学生試験に合格し、孫を望む母を無視して渡仏しました。けれども母は、私がフランスから帰ってきてからも、「フランス留学で箔がついたから、今こそ開業しないと」と強く勧めました。私は開業もせず、子どもも産まなかったので、母の期待には応えられなかったわけです。
 他人を変えるのは難しいことです。怒りを伝えたからといって、相手の本質まではなかなか変わりません。
 では、なぜ怒りを伝えることが必要なのでしょう。怒りという感情は、自分の前に何か、あるいは誰かが立ちふさがっていて、うまくいかないときに生まれる感情であり、「今、自分の目の前に問題がある」と知らせてくれる大切な警告のサインです。怒りを認めないまま自らをも欺きながら生活していると、うつや心身症などの病気になる可能性があります。病気までいかずとも、知らず知らずのうちにイライラしたり、全く関係のない人にまであたってしまうこともあります。
 私は、折に触れて母に怒りを伝えてきたことで、少しずつ関係が変わってきました。「あなたは頑張ってきたからね」と最近やっと言ってくれるようになったのです。父を亡くしてひとりになった今、娘との関係がうまくいかないのは寂しいなど、現実に即した事情もあるかもしれません。けれども、怒りを伝えなければこうは言ってくれなかったでしょう。
 仮に母が惚けてしまってから怒りを伝えても、満足できなかったと思います。既に亡くなったり、認知症になったりしている母親に対して怒りを覚えて受診する60~70代の方など、今でも伝えられなかった怒りに悩まされる患者さんを多く診てきたからこそこんなふうに感じるのかもしれません。
 怒りに時間とエネルギーをかけたくないと思われるかもしれません。けれども縁を切るのが難しい人に対してほど、怒りを感じたらきちんと伝えることをお勧めします。自分はこういうことに不満があると伝え、それによって相手がどういうふうに行動するか見極めてください。もちろん、他人を変えるのは難しいというあきらめもときには必要でしょう。
「幸福こそ最大の復讐」です。怒りを上手に使って、あなたの人生に役立ててください。

 (かただ・たまみ 精神科医)

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