書評
2015年6月号掲載
今すぐ続篇を切望したくなる一冊
――田牧大和『八万遠』
対象書籍名:『八万遠』
対象著者:田牧大和
対象書籍ISBN:978-4-10-315735-9
痛快だ――田牧大和の『八万遠(やまと)』である。
舞台は架空の国、八万遠。戦国時代の日本を模したかのような国だ。頂点に立つのは、この世界に八万遠の地を創り、山と川と森を創り、人と獣を創ったという『天神』の子孫である上王だ。上王の血縁者たちが朝を作り、八万遠を治めている。八万遠を構成するのは、主に七つの州である。その最古参である雪州の領主である源一郎は、八歳の春、雪州の朝への謀反の疑いにより、実質的な人質として炎州に差し出されていた。そうした人質生活が八年ほど経ったころ、一人の客人が彼を訪れた。墨州の跡取りである甲之介である。源一郎より二つ年上の甲之介は、堅物である源一郎とは対照的に、だいぶ常識をはみ出した存在であった。彼は源一郎に告げる――戦になるから、俺の味方になれ、と。形の上では、八万遠は安定しており、墨州の跡取りのこの言葉は、あまりにも乱暴であった。だがその二年後、源一郎が父の跡を継ぐために雪州に戻り、領主となってから、世のバランスは徐々に乱れ始めた……。
甲之介を筆頭に、その側仕えである東海林市松、市松の弟子、あるいは源一郎やその妻と息子、腹心たちなど、とにかく主要登場人物たちが魅力的である。個性的であるばかりでなく、考えに深みがあり、言葉と振る舞いで読者を惹きつける(単に著者が“魅力的な人物だ”という文字を並べているのとは別次元の魅力である)。例えば甲之介や市松がものを見抜く力に驚嘆し、戦いの際に見せる“思いやり”にハッとさせられる。また、源一郎の妻である珠の凜とした佇まいに圧倒され、領主としての力を持ちつつも珠を尊重する源一郎の静かな強さを痛感し、その両親から生まれた息子の賢さと健気さに胸を打たれる。それぞれに人柄も立場も異なる登場人物たちが、こうも読者の心をとらえてしまう小説というのも、なかなかに得難く貴重である。
また、本書の導入部として提示され、その後も時折挟み込まれる異なる視点での会話も素敵だ。王族の末娘にして八歳の姫が、神官である渡に話をせがむのである。この姫には、子供らしい我が儘と大人顔負けの聡明さが同居しているのだが、渡がその聡明さに十分な聡明さで応える様子が読んでいて愉しく心地よい。しかも、この二人の会話を通じて八万遠の成り立ちが理解できるように作られている点も嬉しい。
こういう具合に主要人物が揃いも揃って魅力的なだけに、世の中が乱れ、戦が始まってからのドラマが深く心に刺さってくる。主従の関係、ライバルとの関係、あるいは夫婦親子の関係。それらが軋み、ときには強固になり、ときには対立し、ときには裏切り裏切られることになる。そうした変化のいちいちが、個々のキャラクターへの読み手の思い入れによって強められ、その心にずっしりと響いてくるのだ。ストーリーの起伏だけの小説より、一歩も二歩も深く戦を体感することになる。
そのうえで、戦の知略そのものがまた読ませる。攻め手を見出し、仕掛けを施し、ベストなタイミングを見極める。それもまたスリリングだ。それぞれの局面において戦略にバリエーションがある(知だけで乗り切ることもあれば、血を流すことを厭わないこともある)のも読みどころ。戦についていえば、敵方の弱さもまた印象的である。彼らは太平の世の支配階級であることに安穏としていて、自分の命が危険に晒されることには徹底的に不慣れなのだ。それ故に臆病であり、臆病であるが故に過剰に反応し、過剰に残酷になる。それが戦略を乱す点も、本書の戦を読む妙味の一つといえよう。
二〇〇七年に第二回小説現代長編新人賞を受賞した『花合せ』でデビューし、その後も時代小説を書き続けてきた田牧大和が、自らの名前と重なる響きの言葉をタイトルに据えて発表した『八万遠』。田牧にとって初めての“非時代小説”は、これまで述べてきた魅力に加え、結末部分もまたよい。いくつかの秘密が明かされ、読者に強い衝撃を与える一方で、続篇への期待も抱かせる記述も散見されるのである。そう、続篇だ。一読者としては、続篇が書かれることを強く望む。なにしろ続篇が刊行されれば、また彼らに再会することができるのだ――本書で読み手を惚れさせた、あの面々と。
(むらかみ・たかし 書評家)