書評

2015年6月号掲載

歌い継がれた歴史の記録

――石田千『唄めぐり』

河内家菊水丸

対象書籍名:『唄めぐり』
対象著者:石田千
対象書籍ISBN:978-4-10-303453-7

 平成二十四年の秋に国立文楽劇場で行った文化庁芸術祭参加の独演会。その大詰めでのこと。声を限りに節をまわした瞬間、左首筋に激痛が走りました。小学五年生から河内音頭を唄っている私にとって、初めての経験。魚の骨が喉に刺さったような違和感が残ったのです。精密検査を受けますと、ステージ4Aの甲状腺癌が見つかり、専門病院では唄うことが困難となる気管切開手術を宣告されました。大阪の郷土芸能・河内音頭を生業(なりわい)とする私には、気管切開をせずに癌を取り除いてくれる名医を探すしかありません。あらゆるツテを頼って、辿り着いたのが、五十年前に私が生まれた大阪警察病院。内分泌外科部長の鳥正幸先生が癌を取り除き、声帯も確保して下さったのです。それが年末の二十五日。
 明けて平成二十五年、七草の日に退院。歩行訓練、発声練習を経て、三月に所属する吉本興業100周年記念の舞台で復帰。六月下旬からは「盆踊りツアー」がスタート。声帯を圧迫していた癌を取り除いたことで、高音を出す時には下腹に、えい!とばかりに力を入れて声を発していたものが、軽く唄うだけで届くようになったのです。しかし、櫓(やぐら)に立って大勢のお客様を前にすると、ついつい下腹に力が入る。野球に例えるとファウルとなり、音程を超えてしまうのです。兎にも角にも気張らずに…そんな微調整を繰り返す頃、石田千さんが連載する『芸術新潮』の「唄めぐりの旅」の取材依頼が届きました。
 炎天燃えるような暑さの中、声も枯れず、ファウルも少なくなっていたので、私自身が最大の山場と考える八月二十二日と二十三日の大阪ミナミの本願寺津村別院盆踊り、二十四日の八尾市常光寺地蔵盆踊りを取材して頂く運びとなりました。特に、通称北御堂の津村別院は受け持ちが長講の六十分。これを乗りきれば、術後八か月目の大きな自信に繋がります。それを記録して下さるのですから、気合いも充分。
 当日は、六十分の受け持ちを終えるやアンコールの大合唱。何事にも前向きな私は、病気完治の祝賀の拍手と受け取り、追加で二十分。合計八十分を唄いきったのです。
 二日目の北御堂。出番前に近くのホテル日航一階のファウンテンにて、石田千さんとお目にかかりました。その対談の内容が本文に反映される楷書の質問でした。九月三十日にFAXで届いた一点の曇りもないゲラは、現在も大切に保存しています。残念ながら、その夜は外題途中で強い雨が降り出し、バラシと呼ぶクライマックスを早めに作って♪丁度時間となりました~この続きはCDで~と締め括りました。河内音頭は便利な民謡です。大概、これで片が付いてしまいます。
 さて、正調河内音頭流し節発祥地と伝わる八尾市の常光寺。私は中学三年生から櫓に上がっています。懐かしい地元の人達の輪の中に、石田千さんも浴衣姿で踊りに参加されていました。実は小沢昭一さんの名著『日本の放浪芸』の「諸國藝能旅鞄」〈わがいとしの河内〉の巻に、常光寺を訪ねる件があります。昼間はシラケテいた境内も、夜になると提灯のあかりが浮き立って、櫓を中心に円錐形の空間が、闇の中にはなやいだ芸能の場をつくり上げる…と綴っておられ、最後に、私はもうシンボタマラナクなって、踊りの波の中に突進したのである…と記されています。小沢さんの来寺には間に合っていませんが、私の知る限り、物書きが常光寺の踊りに参加して記録を残されたのは石田さんが二人目。約四十年振りとなりましょう。
 このように、全国各地の民謡を生で体感する石田千さんの連載が『唄めぐり』として一冊の本に纏まりました。興味深かったのは、安来節の項。横山大観の作品群で名高い足立美術館が安来節演芸館に隣接しているのは、大観画伯が安来節の大恩人であるからと、この本で学びました。紀行風土にも触れておられて、八尾では枝豆が気に入られたご様子。昭和四十年代から栽培がさかんになった枝豆。丁度、小沢昭一さんがシンボタマラナクなった頃と一致します。ひょっとして、小沢さんの『放浪芸』の中で八尾の枝豆を口に放り込む場面があるのでは?と読み返してみました。すると…♪丁度字数(時間)となりました 続きは一読願います~と、この手法で締め括らせて頂きます。石田千さんは民謡、小沢昭一さんは放浪芸として河内音頭を記録されました。この二冊を合わせて読むと、歌い継がれてきた歴史が深く判ります。

 (かわちや・きくすいまる 伝統河内音頭継承者)

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