書評・エッセイ

2015年6月号掲載

密林の闇のエネルギー

――高野潤『アマゾン 森の貌』

木村秀雄

対象書籍名:『アマゾン 森の貌』
対象著者:高野潤
対象書籍ISBN:978-4-10-301572-7

 アマゾンは遠い。ブラジルのマナウスやペルーのイキトスのような大都会なら、時間はかかるが、飛行機で訪ねることは難しくないし、デラックスなジャングルロッジに泊まって、周囲の森や川を観光することもできる。しかし、森を、川を、動物を、植物を、人を、高野さんのように見ることは、とてもできることではない。人類学者としてアマゾンに何年か暮らしたことのある私でも、見たことのない自然や人が、この本には溢れている。
 この本の中でも引用されている『アマゾン河の博物学者』の中でヘンリー・ウォルター・ベイツは、「アマゾンの全流域は航行可能な水路網によっておおわれ、ひとつの川というより、無数に枝分かれして内陸の広大な淡水の海を形成している」と記している。外部の影響が少ないアマゾンを見るためには、ともかく川を遡るしかないのである。それも小さな船で。それも、川岸で野宿を繰り返しながら。
 私は人の住んでいない川を遡ったりはしないので、川沿いの家に頼んで泊めてもらう。よほどのことがない限り野宿などしない。しかし、高野さんは川岸にテントを張って野宿しながら川を遡っていく。そんな旅をしなければこの本に掲げられた場面に出会うことはできないのである。私はこの本にあるクチジロペッカリーの川渡りも、生きたジャガーも、見たことはない。
 また、「吹く、投げる、獲る、食べる、騒ぐ」と題された章で紹介されているエクアドルの先住民アウカのような生活をしている人々に会うこともできそうにない。「アウカ」というのは、エクアドルの低地部に住む先住民キチュアの言葉で「敵」を意味するもので、キチュア以外のさまざまな低地先住民グループを一括して呼ぶ名前だった。まあ、一箇所に定住しない野蛮人という意味だ。
 アウカは小さなグループに分かれて森を移動していたのだが、一九八〇年代に村を訪れたカトリックの司祭とシスターを殺害するという事件を起こした。このグループはタガエリと呼ばれ、外界との接触を嫌っていたグループである。ブラジルで先住民とのファーストコンタクトを担当するセルタニスタと呼ばれる先住民保護官と話をしたり、ビデオを見せてもらったりしたことがあるが、昔ながらの生活を保ち接触を嫌う先住民たちに会うのは簡単なことではない。
 森に住む動物たちに出会うのも容易いことではない。昼間森を歩けば、金属光沢のモルフォ蝶やサルは動き回るので見つけることができるが、梢に止まる鳥などは、森に慣れない目には見つけることが難しい。森に住む人々には見える鳥が、どこにいるのか私には全くわからない。身動きしないナマケモノなど枯葉の塊にしか見えない。私のとった写真に、動物はほとんど写っていない。
 そして、夜こそが動物たちの活動時間である。森の人々が信ずる妖怪や精霊が跋扈する時間でもある。狭い川を船で行けば、懐中電灯に照らされたワニの目が光る。毒蛇ブッシュマスターは懐中電灯に向かって飛びかかってくると言われる。森に慣れない人はやめたほうがいいが、ねっとりした夜の森を歩けば、動物たちの密やかな息遣いを感じ、そこに満ち溢れた闇のエネルギーが身に迫ってくる。夜のジャガー、ピューマ、バクの写真からは、アマゾンの夜の香りが濃厚に立ち上っている。
 ああでも、アマゾン全体を見渡して見れば、森も人も急速に変化している。幹線道路の整備が進み、自動車で到達できるところも増えた。開発にともなって熱帯林は減少している。砂金の採取にともなう水銀汚染が深刻なところもある。オオカワウソ、ジャガー、マーモセットやタマリンなどの小型のサルをはじめ、絶滅が心配されている動物種も多い。こんな中で、アマゾンの古くからの姿を映した写真を見、そこに暮らした人の言葉を聞くことができる本を、遠く離れた日本で見ることができる。こんな贅沢はない。

 (きむら・ひでお 文化人類学者)

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