書評
2015年7月号掲載
動乱の世に生きた女の愛の物語
――あさのあつこ『ゆらやみ』
対象書籍名:『ゆらやみ』
対象著者:あさのあつこ
対象書籍ISBN:978-4-10-134033-3
たった一人の男の菩薩でいるために、それ以外の男には夜叉にもなれた女。本書はそんな女の物語だ。
お登枝は、石見の銀山の間歩(まぶ)で産み落とされた娘だった。間歩とは、鉱山の坑道のことで、その道は男だけが通れる道だった。「男たちが何十年、何百年もかけて掘り続けた」暗い道。お登枝の母は、そこでお登枝を産み、そのまま息絶えた。お登枝を育てたのは、お登枝の母の兄であり、銀山で働く銀掘の六蔵爺だった。三十にして無病の者なし、と言われた銀山の男たちのなかでは、驚くほど長命だった六蔵爺だったが、それでも不惑を十年過ぎた後に、逝った。
六蔵爺が病に倒れた時、手を差し伸べてくれたのは、「かぐら」という女郎屋の女将、おそのだった。お登枝が下働きをする、という条件で、二人を離れに住まわせ、面倒をみてきた。親切心から、ではない。「売り物」としてのお登枝の価値を、おそのがいち早く見抜いたからだ。六蔵が逝き、十二歳になったある日、お登枝は石見の山主の一人、松原伊造エ門の長男の嫁女を見るため、駆けていた。お目当は、大きな祝い事の際に配られる、紅白の餅と銭、そして嫁御寮の姿。行く末は女郎の身であることは、お登枝自身が了見していることだ。我が身を白無垢に包むことが叶わないことを、お登枝は知っている。だからこそ、嫁御寮が見たい。餅だって欲しい。そんな思いで駆けつけたお登枝は、けれどそこで、一人の少年と出会う。黒にも紫にも見える目の色をしたその少年は、お登枝が落とした餅を拾って、お登枝に渡してくれた。全ては、それが始まりだった。
この一瞬で、お登枝は恋に落ちる。人生でただ一度の、最初で最後の恋。女郎になる身には許されない、恋。結ばれぬ定めの、恋。一年後、お登枝はおそのが選んだ相手――藤屋の大旦那――を、最初の客としてあてがわれることに決まる。亡くなった六蔵爺よりも、さらに年が上の相手。お登枝は矢も盾もたまらずに、愛しい相手、伊夫(いお)に会うために、「かぐら」を抜け出して、山へと向かう。が、そこに伊夫はおらず、お登枝の後を付けてきた与治が、お登枝に迫る。与治は以前からお登枝に目をつけていたのだ。間一髪、お登枝を救ったのは伊夫だった。二人はそこで初めて結ばれる。
伊夫以外の男はいらない。そう心に決めたお登枝は、女郎となり、客をとる身になっても、心は常に伊夫に寄せていた。どれほど身体を開かれようと、心だけは決して誰にも開かない。ただ一人、伊夫を除いては。伊夫と結ばれた、一度きりの夜を支えにして、お登枝は女郎暮らしを耐える。
時は幕末。時代が大きく揺れ動く中、石見の銀山に生きる男と女。その許されざる愛を、あさのさんは銀山で男たちが鑿を使うかのように、くっきりと際立たせていく。描きこまれた濃密な性描写は、けれどどこか哀れで、切ない。エロスが際立てば際立つほどに、そこに漂うのはタナトスでもある。胸に十字を刻んで産まれた伊夫が、邪教とされる切支丹であること。元武士で同じく切支丹の父親と流れ着いた石見の地で、生きるためには銀山で働くしかなかった伊夫が、文字通り、その身を削って、お登枝に尽くす純情。
お登枝もまた、伊夫への真を通す。おそのに、伊夫とのことを見透かされたお登枝は、ならば藤屋の大旦那に全てを話し、その上で「登枝を大旦那さまの手で女郎にしてやってくれと、お頼み申してください」と、おそのに請う。うちは石見一の女郎になるから、と。お登枝の頼みを飲んだ藤屋の大旦那に厚遇してもらっても、後に備前の商人、かな屋馬蔵の庇護を得、身請けして嫁にと言ってもらっても、お登枝の心にはたった一人、伊夫しかいなかった。だから、お登枝は夜叉になれたのだ。伊夫の菩薩でいるために。菩薩、いや、聖母でいるために。
伊夫に寄せる、お登枝の身を掻きむしるような熱い恋情は、うねり寄せる時代の波に呼応するかのようだ。動乱の世に生きた一人の女の、これは蕩けるような愛の物語なのである。
(よしだ・のぶこ 書評家)