書評
2015年7月号掲載
雪は桃色
――秋山祐徳太子『秋山祐徳太子の母』
対象書籍名:『秋山祐徳太子の母』
対象著者:秋山祐徳太子
対象書籍ISBN:978-4-10-339321-4
縁側に、ひとりの老齢の女性が正座している。煙管盆を前に、すっきりしたまとめ髪で微笑む。この江戸前のすてきな女性を母に持ったとしたら、息子にとって、永遠に母がいちばんの女性でありつづけるだろうと思う。
『秋山祐徳太子の母』という書名の通り、美術家の祐徳さんが、母・千代さんと過ごした約六十年間の記憶が時系列に描かれる。
幼いころに、父と兄を結核で亡くし、母子の二人暮らしがはじまる。千代さんは、息子を育てるために、三味の音の流れる新富町で「千代」という名前の汁粉屋を営む。この本には、たくさんの食べ物があらわれる。そのいずれも、詳細が書かれているわけではないのに、やたらとおいしそうに思える。おいしそうなのは手作りのものに限らない。松島屋の豆大福。大黒屋の盛り上がった天麩羅。「鬼平犯科帳」にうつる湯気ののぼる鴨鍋。千代さんの声を通すと、どの食べものも、おいしそうに響く。後年、小林カツ代と料理の共著を出すのもわかる。
汁粉屋「千代」のぜんざいには、千代さんが最晩年まで大切にしていた糠床の漬物が刻んで添えられていた。「おまいの臭いが移っちまうから」と、千代さんが生きているあいだはホウロウのなかの糠床に祐徳さんが触れることは許されなかった。母が大事に育てている糠床が「弟」のように思えて、祐徳さんは秘かに嫉妬する。
千代さんは終生息子を肯定する。国民学校の図画の時間に、越後湯沢でスキーをした思い出を祐徳少年は描く。戦中だというのに、スキー遊びを描いたことをまずこっぴどく叱られ、さらに、雪を桃色に塗った理由を厳しく問われる。「雪は白いものと決まっとるのに、なんで桃色なんだ?」サングラスをかけて雪をみていたから自分には桃色にみえたのだ、と祐徳さんは応える。母にさっそくそのことを報告すると「おまいは描きたいものを描きゃいいんだよ」と息子の面白いエピソードがふえたことを喜んで笑う。幼いころからずっと息子の人生をおもしろがって肯定してくれた母のすがたが、にぎやかに生きている。彼女が得意としていたおでんの味がどんなものだったかさえ、私もいただいたことがあるような親しさで、思い起こす。
祐徳さんの人生を、千代さんはつねに肯定する。万博に抗する全裸ハプニングで警察に逮捕され不起訴処分で解放されたときも、「おや祐徳お帰り。覚悟してたほどじゃなく、案外早かったね。このくらいなら夏休みにどっかの別荘に行ってきたと思えば、まずまずいい体験だよ」と洒落たことをさらりとくちにする。卒業制作のためにオリジナリティをもとめて作品に悩んでいると、下町芸術らしく、トタンやブリキで彫刻をするのはどうだ、と母がひらめく。美術家祐徳さんにとって、母は、創作の対話者でもあった。
このふたりが同じものを見続けてきたことは、親子で靖国神社の参道にある茶店の長椅子に腰をおろしているときに、あきらかになる。死んだ安正叔父さんの出征を見送ったときの桜の話をして一息ついていると、千代さんがやにわに「あッ!」と声をあげる。同時に、祐徳さんも、参道を行き交う人のひとりに、フィリピン沖で亡くなったはずの安正叔父さんのすがたをみとめる。叔父さんは、にこやかに、ふたりにむかって歩み寄ろうとするが、参詣客に紛れてしまい、千代さんも祐徳さんも見失ってしまう。ふたりは格別驚くようなことではないと、みえない叔父さんを連れだって神田でうまい物を食べて帰る。深く繋がりあった母と息子は、死んだひとの通る道までもおなじようにみてしまうのだ。
(あさぶき・まりこ 作家)