書評

2015年7月号掲載

すべては「アレルギー」が原因だった

――岡田尊司『人間アレルギー なぜ「あの人」を嫌いになるのか』

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対象書籍名:『人間アレルギー なぜ「あの人」を嫌いになるのか』
対象著者:岡田尊司
対象書籍ISBN:978-4-10-121066-7

 誰でもそうだろうと思うが、見るたびに不快や嫌悪感がこみ上げてくる人物はいるものだ。理由が思い当たる場合もあるし、なんとなく虫が好かないだけということもある。そうした人と日々顔を突き合わせていても、なんとかやっていければいい。問題は我慢できなくなる場合だ。突然どうしようもなくなる。そういう状況が本書の「人間アレルギー」である。特定の人間に対して、精神的なアレルギー症状を示してしまうというのである。
 アレルギーは元来、食べ物などで起きる反応である。多くの人がおいしいと食べているお蕎麦でも、人によっては死をもたらしかねないアレルゲン(アレルギーの原因)になる。パンの小麦や、普通のご飯ですらなりうる。どの食物がその人のアレルゲンになるかはわからない。本書は、同様のことが人間の心理に当てはまるとしている。
 こうした考え方に「なるほど」と思えるなら、また、自分にもそういう経験があって困っているなら、本書はとても有意義だろう。心がなぜ特定の人を嫌悪するのか、その仕組みが上手にまとめられているからだ。
「人間アレルギー」というのは不思議なものである。すでになってしまった人にしてみれば、嫌悪の対象は自分の外部にある。しかし本来の問題は外部ではなく嫌悪すべき異物として認識する自分の心の側にある。著者はこう説く。「世間一般の議論のほとんどは、何が“悪者”かということに費やされる」「しかし、本当に問題なのは、“悪者”にすべての責任を押し付け、攻撃・排除しようとすることなのである」
 食物アレルギーでも、該当の食物に毒性があるわけではない。免疫による過剰な拒絶反応に自分自身が苦しんでいるのだ。だが、その仕組みは本人にはわからないものである。
 それでも心は理解しようとすれば理解可能だ。本書の具体的な症例の解説や、豊富に掲載されている関連コラムも役立つ。これらを読むというプロセス自体が、ある種の治療的な効果を持つかもしれない。私もこうした「人間アレルギー」を持っているが、本書を読みながら少し心が軽くなったように感じられた。
「人間アレルギー」は困った病気のようだが、単に克服すればよいものではないことにも、著者は留意を促している。「自分がこれまで避けてきた課題に、いよいよ向き合うべきときが来たことを教えてくれているのかもしれない」とも語られる。心の問題はその人の人生の課題となりうる。本書をきっかけにして「人間アレルギー」に取り組むことで、生き方の転換を自分で見つけていく手がかりにもなるだろう。
「人間アレルギー」は他面、一人の人間の心の問題に留まらない。多くの人がこの問題を抱えているということは、他者を管理する社会的な立場にある人や、教育・指導の立場にある人なら、この仕組みを理解する必要があるということだ。「お蕎麦くらい誰でも食べられるだろう」というノリで、「職場に少しくらい嫌な人がいても我慢できるだろう」という認識では、現代人を指導することは不可能である。
 本書は読みやすい一般向け書籍だが、精神医学的な新知見の書でもある。他者への愛情の向け方の問題である「愛着障害」の理論を基本にしながら、特定の人間に対する嫌悪など否定的な感情のあり方を、従来にない統合的な視点で体系的に説き明かしている。注目したいのは、現代の精神医学の傾向でもある「症状診断」主義とでもいう状況に疑問を投げかけている点である。
 現代の精神医学の現場では、人それぞれの心の問題の本質を掘り下げるより、とにかく心の病気として病名を付けて分類することが優先されてしまう。心の問題に病名が付き、医療対象に移しかえれば、次は脳に作用する薬剤が処方される。社会不安障害、適応障害、パーソナリティ障害、気分変調症など。皮肉な見方をすれば、薬剤処方が可能になったので診断用の病名ができるかのようだ。
 しかし、それらはあくまで表面に現れた各種の症状であり、問題の根が「人間アレルギー」であるなら別の対応もありうる。医療の面でも本書の意義は広がる可能性があるだろう。

 (ファイナルベント ブロガー)

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