書評
2015年7月号掲載
天皇はなぜポツダム宣言受諾を決意できたのか
有馬哲夫『「スイス諜報網」の日米終戦工作 ポツダム宣言はなぜ受けいれられたか』
対象書籍名:『「スイス諜報網」の日米終戦工作 ポツダム宣言はなぜ受けいれられたか』
対象著者:有馬哲夫
対象書籍ISBN:978-4-10-603772-6
先の戦争を終わらせたのは、原爆投下とソ連の参戦だといわれている。原爆投下だけで充分だったとか、いやソ連の参戦の方が決定的だったと唱える研究者もいる。
筆者はこのどれにも与しない。原爆投下とソ連の参戦は、必要条件ではあるが、十分条件ではなかったからだ。十分条件は、ポツダム宣言を受諾し、降伏しても国体護持ができるという確信を天皇と重臣たちが持てたことだ。
事実、昭和二〇年八月一二日の皇族会議で、天皇が連合国に降伏することにすると告げたとき、朝香宮に「講和は賛成だが、国体護持ができなければ、戦争を継続するか」と問われたのに対し「勿論だ」と答えている。つまり、国体護持ができるという確信を天皇や重臣が持てなければ、戦争は続いていたということだ。
また、天皇は八月一二日と八月一四日の二度、国体護持に不安があるので、ポツダム宣言を受諾しないよう求める阿南惟幾(これちか)陸軍大臣を「朕には確証がある」といって退けた。降伏するならクーデターを起こすと陸軍強硬派が叫んでいるのも知っていた。内乱状態になるかもしれないという緊張感のなかで、天皇は確信をもって日本と日本国民の命運がかかったこの決断をしたのだ。
にもかかわらず、天皇と和平派の重臣がこのときどんなインテリジェンスを持っていたのか、これまで問われることはなかった。天皇が運まかせで、この重大な決断をしたかのように思われてきた。
拙著『「スイス諜報網」の日米終戦工作』で筆者は、「スイス諜報網」が日本側の天皇と重臣たちとアメリカ側の大統領および閣僚たちの間の秘密のコミュニケーションの回路となり、彼らに戦争終結を決断するために必要なインテリジェンスを与えていたことを明らかにした。
「スイス諜報網」とは、日本側の北村孝治郎、吉村侃(かん)(ともに国際決済銀行勤務)、岡本清福(きよとみ)(スイス公使館付武官、陸軍中将)、加瀬俊一(しゅんいち)(駐スイス公使)とアメリカ側のアレン・ダレス(米戦略情報局スイス支局長)を、フリードリッヒ・ハック(ドイツ人で元日本海軍御用達の武器商人)、ペール・ヤコブソン(スウェーデン人で国際決済銀行幹部)がつなぐことで形成された諜報・コミュニケーション網のことだ。
このネットワークこそが、ポツダム宣言のアイディアをジョセフ・グルー(米国務長官代理)に与え、エリス・ザカライアス米海軍大佐に対日放送を構想させ、天皇にポツダム宣言受諾を決断させるインテリジェンスを与え、最終的に終戦に導いたのだ。
戦後も七〇年になるが、見落とされてきたものはまだある。本書がその一つを見つめなおすきっかけになればと思う。
(ありま・てつお 早稲田大学教授)