書評
2015年8月号掲載
吉村昭を読む
真実は細部に宿る
――『吉村昭 昭和の戦争1 開戦前夜に』
対象書籍名:『吉村昭 昭和の戦争1 開戦前夜に』
対象著者:吉村昭
対象書籍ISBN:978-4-10-645021-1
歴史と向き合うには三つのタイプがあるように思う。第一が、アカデミズム型であり、いわゆる歴史学者の領域に属するタイプだ。第二はジャーナリズム型というべきだが、史実の掘り起こし、あるいは歴史上の人物の検証などが得意である。そして第三は、作家型と私は称するのだが、史実の背景に隠れている人間のありのままの姿、あるいは史実そのものに人間的な息吹きを与えるタイプである。
吉村昭氏は、むろん第三の作家型の典型的なタイプだ。このタイプには、実証性などまったく無視して史実を都合よく自らの側に引き寄せてつまみぐいをする者が多いのだが、吉村氏はそのような御都合主義とはみごとなほど一線を劃している。第一の研究者、第二のジャーナリストやノンフィクション作家などよりはるかに史実に対して謙虚であり、そして事実そのものを自ら納得するまで調べ上げてから筆を起こすという点では日本で有数の作家ではなかったかと思う。
吉村氏は、事実そのものを究極まで調べて、そして自らの咀嚼によって作品の完成度を高めていく。吉村氏の取材対象となる人たちは広範囲に及ぶが、ときにはそこに軋轢が起こることもある。本書に収められている『「零式戦闘機」取材ノート』の中に、そのやりとりが書かれている。
零式戦闘機について、吉村氏はほとんど知識をもっていなかったので、この設計主務者であった堀越二郎氏になんども取材をつづけた。「緻密な航空機設計者として知られている氏であるだけに些細な妥協も許さない人」である。この『零式戦闘機』を小説雑誌に連載している折りに、堀越氏から「航空機の技術的叙述」が正確さを欠くとの連絡があり、この叙述には堀越氏の論文を一字一句そのまま引用してもいいと勧められたというのである。吉村氏はそのとき、堀越氏に話した内容を書き残している。次のようにである。
「その好意はありがたかったが、私は、小説の文章はそれを書く人間のみが持つ個性にささえられたもので、たとえ航空技術のことであろうとも断じて第三者の叙述を使用することはできないものだ、と言った。
正確さを欠いてもですか、という氏の言葉に、そうですと答えると、氏は釈然としないように私の顔を見つめていたことを記憶している。」
こうした吉村氏の記述は何を物語るのだろうか。前述の第三のタイプの真骨頂はこの点にあるという意味である。第一や第二(私もここに属するのだが)のタイプは、事実の正確さを尊ぶという形で、堀越氏の要求をあっさりと受けいれただろう。しかし吉村氏は、小説家のもつ感性や文章表現への誇りは、ときに事実よりその誇りを守る点にあると断じているのである。第一や第二のタイプは、歴史とはできるだけ事実に近くという立場なのだから、このような誇りは二義的になっているといっていい。
まず本書の魅力はこの点に尽きていると、私たちは理解すべきである。そしてこのことをより深く吟味していくと、吉村氏は事実そのものを追及していくことで、そこから真実をさぐりあてようとの姿勢を自らに課していることがわかる。それが自らが生きた昭和という時代を解明する鍵になりうるのだとの強い信念をもっていたことが窺えてくる。
本書には、吉村氏の昭和史解明の二作品が収められている。『零式戦闘機』は、戦時下に日本が生んだ航空技術の粋になるのだが、これがどのように製造されたのか、実は正確な書はこの作品以前にはなかった。むろん当時の技術者たち(たとえば前述の堀越二郎氏などがそうだが)の残した記録がなかったわけではない。あるいはゼロ戦のパイロットたちの戦闘記録に類する書とて少なくなかった。だがいうまでもなく、これは事実を記述しているのであり、いわば時代の記録といってよかった。
しかし吉村氏は、そこに事実を越える真実、さらには幾多の事実を積みあげていくことで見えてくる真実をえがこうとしたのである。その動機になったのは、戦時中に中学生であった吉村氏も勤労動員で軍需工場で働いていたわけだが、アメリカ軍の空襲に加えての戦時下の大地震によって、「おびただしい数の男女学生が工員たちとともに惨死したのである」との事実であり、その死を小説に書きたかったというのである。取材をつづけているうちに、その構想はしだいにふくらんでいき、零式戦闘機そのものの誕生から崩壊までを見つめたいというのが主たるテーマになったのだという。
この作品は事実の末端にこだわりつづけて書かれている。あたかも〈真実は細部に宿る〉といわんばかりに細部の描写が念入りに行われている。
零式戦闘機の初陣は、昭和十五年九月十三日だが、中国の漢口上空での戦いであった。相手方の機を次々に撃ち落としていく。予想外の戦闘能力を持っていたのである。そうした事実を淡々と語っていく。こうした記述の中に、吉村氏は、「なぜあんなに落ちてゆくのか、不思議な気さえした」と「(パイロットの)一人が、ふとそんなことを口にした」と書く。この台詞の中に、まさに零式戦闘機の性能の良さや戦闘能力の高さがそのままあらわれていることになる。
昭和十六年十二月八日の真珠湾攻撃のときも零式戦闘機は相応の戦果をあげている。零式戦闘機を始め水平爆撃機などの各機は空母甲板上から攻撃にと飛び立っていく。こうした光景をえがきながら、「……三菱名古屋航空機製作所では、牛車の使用が頻繁になっていた」ともうひとつの光景を書く。製作所でつくられる各機は、岐阜の各務原飛行場までシートにおおって積まれ、「悪路を緩慢な動きでつらなって進んでゆく。胴体も翼も、牛車の震動につれて揺れ、牛の吐く息は寒気の中で白くみえていた」と書いている。
最新鋭の戦闘機をつくりながら、その一方での道路の不整備、牛車で運ぶことの対照的光景などがさりげなく紹介される。まさに近代の戦争を始める日本のこのちぐはぐさの中に、真実はあると吉村氏は言いたいのであろうと、容易に想像できるのだ。そうした吉村氏の姿勢は幾つも本書の中にはちりばめられている。それを読み解くことができるか否か、そこに真の吉村文学の読者の所以が隠されていると、私は考えているのである。
もう一編の『大本営が震えた日』は、昭和史を単純に唯物史観や皇国史観で見る人たちに異議申し立てを試みた書ではないだろうか。ひとつの史実の前に附随している多くの知られざる事実、それを吉村氏は示してみせてくれたのだが、歴史的事実を大日本帝国擁護の便法に用いたり、あるいは硬直した社会主義史観の道具に利用したりする人たちにむかって、人間のつくりだす史実の面白さ、不気味さ、あるいは不思議さをみごとなまでに提示している。
「私が、開戦記録に興味をもったのは、その曖昧な日の記憶をより鮮明にしたかったからにほかならない」「開戦のかげには、全く想像もしていなかった多くのかくされた事実がひそんでいたことを、私は知った」と吉村氏は書いている。そのうえで次のことが、作家としての感性を刺激したのであろう、正直にそのことを明かしている。
「開戦の日の朝、日本国内に流された臨時ニュースは表面に突き出た巨大な機械の頭部にすぎず、その下には無数の大小さまざまな歯車が、開戦日時を目標に互いにかみ合いながらまわっていたのだ」
このまわっている姿そのものが、真実なのである。一般に知られていない事実、たとえば昭和十六年十二月一日に台北飛行場を離陸した旅客機「上海号」には参謀の少佐など十八人が乗りこんでいたが、少佐は「十二月八日」開戦の作戦命令書を携行していた。この上海号が「敵」の支配地域で行方不明になる。それを知った日本側は、旅客機が不時着した場合、この命令書が中国側、そのルートでアメリカ、イギリスなどに洩れたのではないかと不安になる。各機関で暗号電報のやりとりが頻繁に行われる。
そのような隠されている史実を、吉村氏はわずかに現存する当時の概要報告書をもとに克明にあぶりだす。それもすべてを実証主義的にである。この実証主義的手法によってわかってきた新しい事実、はからずも浮かびあがってくる人間模様、吉村氏の筆は任務を遂行する軍人たちの意外な悲しさを感じさせる。この『大本営が震えた日』には、「タイ進駐の賭け」のような、開戦日に日本軍がタイ国を通ることの法的、外交的駆け引きの内幕も収められている。吉村氏にとって日本軍の傲岸さが不快だったのであろう。
吉村氏のこれらの作品を読み解くには、読者にはあえて二つの明確な視点をもてというのがもっとも適切な助言になるのではないか。私が考える二つの視点とは以下の点である。
(一)史実を「人間」で見よ。「政治」で見るなかれ。
(二)事実の背後にある真実を見極めよ。そのための感性をもて。
本書はこの二つの視点で読みこなし、そして冒頭に述べたように第三の作家型の良質の作品との出会いによって自らの歴史認識を高めるべきだ、というのが私の結論なのである。
(ほさか・まさやす ノンフィクション作家)