書評

2015年8月号掲載

毒薬と医学の相克を描いた新たな代表作

――帚木蓬生『悲素』

宇田川拓也

対象書籍名:『悲素』
対象著者:帚木蓬生
対象書籍ISBN:978-4-10-118826-3/978-4-10-118827-0

 一九九八年七月、日本国内のみならず世界の犯罪史に照らし合わせても前例のない事件が、和歌山市で発生した。夏祭りの会場でカレーを食べた人々がつぎつぎと強烈な腹痛や嘔吐に襲われ、病院に搬送。被害者の数は六十七人にのぼり、うち四人が死亡する大惨事となった。当初は食中毒、青酸化合物の混入が疑われたが、のちに原因は砒素と判明。捜査により、現場近くに住む主婦――林眞須美の周囲で不審な通院や高額な保険金の流れがあることをつかんだ警察は、同年十月、知人に対する殺人未遂と保険金詐取の容疑で逮捕。そして十二月、カレーへの砒素混入の容疑で再逮捕した。
「和歌山毒物カレー事件」、または「和歌山カレー事件」と称されるこの事件は、一度にこれだけの人数を急性砒素中毒に陥れたという点で、まさに“前例のない事件”といえる。
 帚木蓬生『悲素』は、事件発生の翌月に警察からの要請を受け、福岡と和歌山を幾度も行き来しながら、容疑者逮捕に貢献し、被害者たちの診察に携わった、九州大学医学部衛生学教室教授――沢井直尚(モデルとなった人物は、オウム真理教による松本サリン事件、地下鉄サリン事件の捜査にも関与し、『生物兵器と化学兵器―種類・威力・防御法』〈中公新書〉などの著書がある、九州大学名誉教授――井上尚英氏)を主人公とした長編ドキュメントノベルである。
 当時の一般人が知る由もなかった凶悪事件捜査の裏側を医師兼研究者の視点から描く、現役の医師である著者ならではの画期的な作品といえるが、同時に本作は、「砒素」という毒物がたどってきた歴史、毒殺事件に医学がどう関わってきたのかを垣間見ることができる点でも誠に優れた作品だ。
 フローベール『ボヴァリー夫人』がいかに急性砒素中毒の症状を生々しく描いた書物であるか、十七世紀イタリアで上流階級の貴婦人たちが求めた秘毒トッファーナ水、法医学者の地位を押し上げたフランスのマリー・ラファルジュ事件など、調査や診察過程の合間にこうした歴史的記述が挿入されることで、いま沢井が事件と対峙している状況が、長い時を経て繰り広げられてきた毒薬と医学の相克の上にあることが強調され、単に大事件を切り取るだけでは得られない歴史小説のような読み応えを獲得している。
 本作のタイトル『悲素』は「砒素」にかけた造語だが、被害者や遺族の心に長く留まり続ける深い悲しみは、人体に蓄積されるや容易に排出されない毒薬に、確かに似ている。
 狡猾な犯人による砒素を使った犯行は、高度な医学知識、経験、分析力を有した研究者なら、沢井と同じように見抜くことができるのかもしれない。しかし、卑劣な犯行により不幸にも“悲素”を盛られてしまった人々に対しては、研究者ではなく沢井のような医師でなければできないことがある。
 物語の終盤、沢井のもとに“ある人物”から長文の手紙が届く。文面を読み返すうちに沢井は感極まるのだが、誠実かつ優秀な医師の姿勢が“悲素”に苦しむ人々を癒すだけでなく、思わぬ形でひとりの人間の心を動かしたその小さくも大きな力に、誰もが胸を熱く打たれるに違いない。
 本作の冒頭で、沢井は二十年ぶりに通い始めた母校から、開学当時を目撃していた“貴重な証言者”というべき解剖学講堂が消えていることを知る。将来にばかり目を向ける風潮のもとでは、医学を学ぶ若者たちは自分が歴史や伝統のなかにあり、新たなそれを築いていく責務を負っていることに、なかなか気がつくことはできないだろう。
 そうした懸念もあるのだろうか。重大事件を題材にしたドキュメントノベルの行間からは、「医師かくあるべし」という強い念がひしひしと伝わってくる。ミステリー、時代歴史小説、戦争小説など、それぞれのジャンルで代表作級の傑作をものしてきた巨匠による、思わず背すじが伸びるような新たな代表作の誕生だ。

 (うだがわ・たくや 書店員/ときわ書房本店)

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