書評
2015年8月号掲載
発表されない五つの短編/『掲載禁止』の理由
――長江俊和『掲載禁止』
対象書籍名:『掲載禁止』
対象著者:長江俊和
対象書籍ISBN:978-4-10-120742-1
――今日は、お忙しいところお時間を作って頂きありがとうございます。早速ですが、現在行方が分からなくなっているN容疑者について、お話を聞かせて頂けますか。
まさか彼があんな恐ろしい事件を起こすとは、思ってもみませんでした。Nは映像作家で、最近は小説家として本も出していましたからね。もっとも、彼の作風は陰惨で後味の悪いものばかりで、今思えば「やっぱりね」という気もします。
――N容疑者は、「整形手術を施し、姿形(すがたかたち)を変えて逃亡している」などといった情報も入ってきています。なぜ彼が、今回のような事件を起こしたのか、何か心当たりはありますか。
これはあまり知られていないんですが、Nには、発表されていない短編小説が五編あるんです。文芸誌に掲載されるという話もあったのですが、今回の事件が起こり、掲載が見送られました。私はこの掲載禁止となった五つの短編が、今回の事件の鍵を握っていると思っています。
――五編の短編小説とは、どういったものですか。
まず「原罪SHOW」という作品があります。これは、あるテレビ局の報道記者が、ネット上で噂になっている「人の死を見るツアー」に潜入取材するといった話です。新聞記事やテレビのニュースには、殺人事件や死亡事故など「人の死」を扱った情報が氾濫しています。歴史的に見ても人間は、ギロチンや江戸時代の公開処刑など「人の死」を見世物にしていました。この小説は、そんな「人の死を見たい」という、人間の深層心理に潜む“原罪”をテーマにした作品です。
――なるほど。確かに今回のN容疑者が起こした事件も、そういった深層心理を巧みに利用しているように感じますね。ほかの小説は、どんな内容なんでしょうか。
「マンションサイコ」という小説は、元カレのことが忘れられず、男性が暮らす部屋の天井裏に住みつくようになった女の話です。天井裏から覗き見る、かつての恋人の生活。だがある日、彼女はとんでもない光景を目撃します。
――N容疑者は現在、どこかの部屋の天井裏に潜んでいるかもしれない。その可能性があるということですね。
そうなんです。「杜の囚人」は、ある別荘で撮影されたプライベートビデオが物語の軸となって展開します。ビデオカメラの前で、次々と露呈してゆく兄と妹の秘密……。これはNが初めて書いた短編小説で、映画企画だったプロットをベースにして書かれたものです。
――今回の事件でも、N容疑者は犯行の過程の一部始終をビデオカメラで撮影していた、という情報もあります。
「斯くして、完全犯罪は遂行された」は、学生時代の恋人だった女性と再会し、同棲を始めた男が主人公です。でも彼女には、恐ろしい目的があった……。これは「決して解明されることのない、ある完全犯罪」を描いた小説なんですが、まさしくNも今回の犯行で、完全犯罪を企てました。
――確かに、そうですね。でもN容疑者の完全犯罪は、暴かれてしまいましたが。
そして最後が「掲載禁止」。「日本の品格を守る会」の代表を名乗る男を取材する女性ジャーナリスト。日本の品格を取り戻すという名目で、公序良俗を乱す者たちに天誅を加える男。彼の行動は、徐々にエスカレートしてゆき、物語は意外な方向へと展開します。
――明らかにこの五編の短編小説は、今回の事件を予言していますね。でも一つ気にかかることがあります。実は私も、N容疑者には幻の短編があるという噂を聞いたことがあります。でもその詳しい内容までは、知りませんでした。彼はプライベートでも、原稿は誰にも見せず、一部の編集者しか知らなかったと言われています。あなたはどうやって、この短編を読むことができたのでしょうか。もしや、あなたは……。
私がそこまで言うと、彼の顔色が一瞬にして変わった。まさかと思った。しかし、彼はゆっくりと立ち上がると、冷徹な眼差しのまま、こっちに向かってくる。
その時私は心のなかで、この取材記事が掲載禁止にならぬよう、切に願っていた。
(ながえ・としかず 映像作家・小説家)