書評
2015年9月号掲載
『繭』刊行記念特集
鏡と鍵
――青山七恵『繭』
対象書籍名:『繭』
対象著者:青山七恵
対象書籍ISBN:978-4-10-138842-7
単色ではただ綺麗に見えた絵の具が、他の色と混ざりあううちに、思いがけないほどの、どす黒い色に変化していく――作者はまさに絵を描くように、人間の関係性とその変化を、巧みな筆致で描いている。
主な登場人物は、美容師の舞と夫のミスミ、そして二人に介入していく羽村希子であるが、彼らの周囲に、希子が執着していく遠藤道郎や、ミスミの親族、そして舞の美容院で働く若い男女などが配される。
舞台は、舞・ミスミ夫妻と希子の暮らす集合住宅であり、舞の店である美容院。いずれも密室の「劇場」である。
それにしても、ここで選ばれている「美容師」という職業は興味深い。彼らは人の髪に触り、ときには髪型を劇的に変えたりすることで、人を支配する呪術的な力を、無意識のうちにも、育てているように見える。
客としての希子に、あるとき舞が言う。「希子さん、髪伸びましたね」。そして仕事帰りに、また店に寄っていくようにと誘う。美容師としてはごく当たり前の声掛けであろう。だがその言葉の背後には、意味を超越した支配関係が蛇のようにぬめぬめと動き出しているように感じられる。
夫婦間の、とりわけ妻から始まった「暴力」が、この小説の中心に置かれたテーマである。舞はミスミとの関係が、「対等」でないことに苛立ち、ますますミスミを打つようになる。しかし対等とはどういうことであろう。それを言う舞の暴力は、ミスミからも暴力を「対等に」ひきだしたということか。彼らは暴力を最悪の手段だと理解しながらも、相手のなかへ生々しく侵入する手段を他に知らない。おぞましいが理解できないものでもない。それは一瞬、愛にも見え、双方を結びつける接着剤にも見える。このような関係を主導するのが、最初は経済力を握る舞に見えるのだが、やがて被虐的で優しく見えるミスミのほうが、女を操りすべての関係を歪めさせている、悪の根源かもしれないと思えてくる。
美容院の「鏡」が、写しとった現実をそのまま跳ね返すという機能以上のものを背負わされている点も見逃せない。通常、客と美容師というのは、常に鏡を通して互いの意思を確認しあう。二者は向き合うのではなく、同じ方向を見る。視線の先で待ちかまえている鏡は、当人たちの姿のみならず、二者の関係性までも、折り返して当人につきつける。その異様さ、その不思議さ。
舞の美容室で、客として椅子に座る希子の背後に、舞とミスミがいるという状況下、「鏡のなかで、わたしたちの視線は縫われるように交錯した」と書かれているが、単なる視線には思えない。それは肉をつけた生々しい視線である。作品内にも大きな鏡が設えられてあり、読者の脳内に映しだされるのは、常に反転する現実である。
「……どうしてなの?」という言葉を軸に、前半と後半では、舞から希子へと語り手が移る。これもまた鏡的作用である。二人はまったく違う人間なのに、同じ人間というくらいに、どこか似ている。誕生日も同じだし。誰かが誰かに「似ている」ことをめぐっては、希子が指名手配中の逃亡犯の顔に、遠藤道郎を重ねるところもあった。希子が思わなければ、繋がりようのない二人であるが、彼女の妄想の力によって、真実すらも歪められ、妄想に歩み寄りそうな気配がある。
遠藤を逃亡犯と決めつけ話す希子に「お前、どっかおかしいんじゃないの」と道郎が言う。読者の多くも、同じことを言いたいだろう。もっとも、希子は一人で狂ったのではない。舞とミスミ、そして道郎と関わったことによって、異常の領域へと押しやられた。関係のなかで狂ったのである。
関係の「侵入」をイメージさせる「鍵」のエピソードも重要で、三人は、互いの家の鍵を盗み合うという異常な行いを通して、互いのなかへ侵入するが、それが明るみに出ても、三者の関係は継続する。三人は、いつしか「仲間」になってしまったということか。
破綻はすぐそこに来ているように思える。だがこれは終わりでなく、始まりなのかもしれないということが示唆される。自我が崩れ、流れだし、誰が誰なのか見分けもつかない。この無秩序な混沌を支えているのが、端正な文章と堅牢な構成である。
(こいけ・まさよ 詩人・作家)