書評
2015年9月号掲載
ペシミスティックな名作西部劇の秘密
――グレン・フランクル『捜索者 西部劇の金字塔とアメリカ神話の創生』
対象書籍名:『捜索者 西部劇の金字塔とアメリカ神話の創生』
対象著者:グレン・フランクル著/高見浩訳
対象書籍ISBN:978-4-10-506931-5
西部劇にはよく先住民族にさらわれる白人女性が描かれる。男たちはそれを奪還しようとする。西部開拓史が先住民族との血まみれの闘争の歴史だったことのあらわれである。
古くは3D西部劇として話題になった「フェザー河の襲撃」(53年)、ランドルフ・スコット主演の「決闘コマンチ砦」(62年)、近くはケヴィン・コスナーが監督した「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(90年)、ロン・ハワード監督の「ミッシング」(03年)などがある。オードリー・ヘプバーンが白人によって育てられた先住民の娘を演じるジョン・ヒューストン監督の「許されざる者」(60年)もこのジャンルに入れていいだろう。
この誘拐、奪還の物語でいちばんよく知られているのが、ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の「捜索者」(56年)。テキサスの辺境で開拓者一家がコマンチ族に襲われ、惨殺される。幼ない子供たちがさらわれる。ジョン・ウェイン演じる伯父が姪たちを救いだそうとする。「白鯨」のエイハブを思わせる異様な執念でコマンチを追う。
今日、ジョン・フォードの傑作として評価の高い奪還劇だが、この映画はジョン・ウェインの西部劇としては類を見ないほど暗く、ペシミスティックな作品になっている。
なぜ「捜索者」はあんなにも暗いのか。このノンフィクションは、その秘密を明らかにしている。
「捜索者」は一八三六年に実際にテキサス州で起きたコマンチ族による白人開拓者一家襲撃事件をもとにしているという。映画ではナタリー・ウッドが演じているさらわれた少女は、実際に事件の犠牲になったシンシア・アン・パーカーという女性がモデル。また、ジョン・ウェイン演じる奪還の旅を続けるイーサンは実際に姪を十一年も独力で探し続けた伯父のジェイムズ・パーカーがモデルだという。
これまで日本でも「捜索者」は数多く論じられてきたが、この事実に触れたものはないのではないか。
私自身もはじめて知った。実は二〇〇五年に同じ西部劇ファンの逢坂剛さんと『誇り高き西部劇』(新書館)を出したのだが、この時、西部劇には、白人女性が先住アメリカ人にさらわれる映画が多いというくだりで、シンシア・アン・パーカーとその息子でコマンチの族長になったクアナの写真を入れていた。
それでいて、彼女と「捜索者」を結びつけて考えていなかった。本書を読んでいて、まさに目からウロコだった。
本書の前半は、このシンシア・アン・パーカーの数奇な生涯を語っている。映画では南北戦争後の一八六九年になっているが、実際の事件が起きたのはそれより早く一八三六年。
開拓者一家がコマンチの襲撃を受け、大人は惨殺される。子供のシンシア・アンは惨殺の現場を目のあたりにした。
さらわれたあと、シンシア・アンはコマンチに育てられる。虜囚生活は二十四年にも及ぶのだが、その結果、驚くべきことが起る。白人の彼女はいつのまにかコマンチに同化してしまう。勇者と結婚して子供を産む(その子供がのちに族長になるクアナ)。
シンシア・アンは一八六〇年に、騎兵隊によって助け出されるのだが、その時はもうコマンチの一人になっていて、白人社会に戻るのを拒んだという。結局は、連れ戻されるのだが、彼女にとっては不幸なことにそれは、二度目の誘拐となってしまった。
「捜索者」では最後、イーサンはようやく姪のデビーを見つけ出すが、その時、彼女はもうコマンチの娘になっている。絶望したイーサンは彼女を殺そうと銃を向ける。
「捜索者」の暗さの核はここにあるのだが、それが事実によって裏付けられていたとは。
シンシア・アンの史実をもとに、西部小説の作家アラン・ルメイが小説を書き、それをジョン・フォードが映画化した。ちなみに、ルメイはジョン・ヒューストン監督「許されざる者」の原作者でもある。
それにしてもなぜコマンチは白人の少女を誘拐したのか。その背後には、先住民と白人の二つの文化の衝突があったとし、著者は、双方がいかに残虐に、無慈悲に、殺し合ったかを明らかにしてゆく。凄まじい殺戮の記録になっている。
「捜索者」は、この血まみれの歴史を背景にしている。明るく、強いヒーローが活躍する無邪気な西部劇にはなりようがなかった。
(かわもと・さぶろう 評論家)