書評

2015年9月号掲載

父娘が魅せられた冒険物語

――ジュール・ヴェルヌ 椎名誠・渡辺葉訳『十五少年漂流記』
(新潮モダン・クラシックス)

渡辺葉

対象書籍名:『十五少年漂流記』(新潮モダン・クラシックス)
対象著者:ジュール・ヴェルヌ著/椎名誠・渡辺葉訳
対象書籍ISBN:978-4-10-591004-4

 十五人の少年が未知の島で出会う冒険を綴ったこの本は、幼い頃毎日眺めていた本棚でも、ひときわ魅力を放つ一冊でした。「じゅうごしょうねんひょうりゅうき」という題名をはじめて耳にしたのはおそらくやっと本を読めるようになった頃、「おとうさん、いちばん好きな本はなに?」と尋ねたときのこと。父から聞いたその題名の「少年」「漂流」という言葉の組み合わせの、少し不安な、けれど冒険の気配に満ちた響きに驚いた感覚を、いまも覚えています。島への漂流、未知の風景や動物たち、生き延びること、冒険。ジュール・ヴェルヌの本はそれ以来、何度も取り出しては読みふける、大切な「本棚のともだち」になりました。
 それは父、椎名誠が作家として本格的に活動をはじめ、同時にドキュメンタリーの取材などで世界各地の聞いたこともない大陸や島々へ旅をしはじめた時期でもありました。携帯電話など無い時代。一度旅に出たら数ヶ月から半年、音沙汰なしになることもしばしば。どんな土地にいるんだろう? どんなごはんを食べ、どんな空を見ているんだろう? 長き不在のあと帰ってくる父は日に焼けた顔をくしゃくしゃにして笑いながら、わが家のテーブルに異郷のにおいのするおみやげを並べ、旅の話をしてくれました。旅の話の向こうに蜃気楼のように浮かぶ、見知らぬ世界。ヴェルヌの冒険物語の舞台と、父が旅してきた見果てぬ土地は、どちらも魔法の気配を含んで、想像の向こうに広がるのでした。
 ヴェルヌは作家として世に出るまで、様々な職業に就きながら苦労していたようです。法律家であった父親の言いつけでパリに上京し法律を学びながら、演劇に魅せられて芝居の世界に身を投じたヴェルヌ。「三銃士」の作者である友人のアレクサンドル・デュマに薦められ戯曲を何本か書いたものの、生活が苦しく、株式仲買人をして暮らしを立てながら小説を書き始めたそうです。三十五歳のとき上梓した「気球に乗って五週間」が評判になり、文豪ヴェルヌが誕生したのでした。パリではほぼ十年ごとに万博が開催され、科学の発達や大衆文化の開花もめざましい時代のことでした。
 小説でもノンフィクションでも、原作者の声に耳を澄ませながら訳出するうち、原作者が感じていたであろう「書きたいことがどんどん湧いてきて飛ぶように筆が進む」感じを追体験することがあります。ヴェルヌの物語も、島のひみつが明らかになるにつれ、映画のカメラワークでいえば場面ごとの登場人物にあわせ移動撮影するような勢いがついてきます。「ヴェルヌ氏の頭のなかでは、次の場面、またその次の場面がどんどん展開していったに違いない」と思いながら翻訳するうち、遠き十九世紀のフランスで紙にペンを走らせた文豪そのひとが抱き続けた少年の心が伝わってくるような気がすることもありました。
 ヴェルヌの作品は冒険小説やSFの先駆として語られるけれど、本作品の物語を推し進めていく原動力は「人と人のあいだに流れるもの」にあります。英仏出身の少年たちや、新大陸アメリカの少年、見習い水夫の黒人の少年、彼らのあいだに流れるそれぞれの思い。はじめて読んだときには判らなかったけれど、隣国同士なのに何世紀も反発しあってきた英仏のライバル関係や、新しい国アメリカの実践的な気風、そして人種差別の問題など、少年たちの生きるちいさな社会にも大きな世界の様相が映し出されています。島に隠された数々のひみつ、仲間割れ、葛藤、新たに登場する敵など様々な冒険を乗り越えながら少年たちが育てていくものが、ヴェルヌの筆を駆り立てたのではと思います。
 ヴェルヌの本にはじめて出会ったあの日から長い年月を経て、ニューヨークで翻訳を進めていた夏。「砂鉤島(すなかぎとう)」と呼ぶ小さな島に友人たちと出かけ、寄せては返す大西洋の波に足を浸しながら、チェアマン島に流れ着いた少年たちが見た南半球の海と浮かぶ雲に思いを馳せました。本書の訳出は、仏語原典から日本語へ字義通りにわたしが訳した後、物語として読みやすい日本語に父がさらに訳していく、という二段階で進めたので、訳しながらも何度か日本へ国際電話をかけて、言葉の選びかたなどを相談しながら進めました。そんなとき必ず話題に出たのは、父にとっては孫、わたしにとっては甥っ子にあたる風太(ふうた)くんに読んでほしいね、ということ。この夏、十二歳になる少年の心に、「じいじ」と「ねえねえ」(彼は父とわたしのことをこう呼んでくれる)が訳した冒険小説はどんなふうに届くのか、楽しみにしています。

 (わたなべ・よう 翻訳・通訳)

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