書評・エッセイ

2015年9月号掲載

『他者という病』刊行記念特集

暗黒の底から立ち上がる愛のリアリティー

――中村うさぎ『他者という病』

佐藤優

対象書籍名:『他者という病』
対象著者:中村うさぎ
対象書籍ISBN:978-4-10-134175-0

 私にとって、中村うさぎ氏は、思想について語り合うことができるかけがえのない友人だ。それだから、私は、聖書について、うさぎさんと語り、それを2人で作品に仕上げてきた。本書『他者という病』で、うさぎさんは、愛のリアリティーを説いているというのが私の解釈だ。
 本書で詳しく述べられているが、うさぎさんは臨死を体験した。もっとも臨死と死は本質的に異なる。この世に戻ってこないことが死の条件だからだ。ただし、臨死を体験した人の話は重要である。この体験を通じて、普段は、到達しようといくら努力しても到達することができない無意識の世界を旅しているからだ。
 うさぎさんは、原因不明の病気で、2013年にあわせて3回、心肺停止と呼吸停止に陥った。まさに臨死体験をしたわけだ。意識がブラックアウトし、うさぎさんに見えたのは暗黒だけだったという。そこでうさぎさんは、言語では表現することのできない何かを見たのだと私は確信している。
 この無意識の世界は底なし沼だ。しかし、その底なし沼にも底がある。うさぎさんは、暗黒の底に触れて、再びこの世界に戻ってきた。暗黒の底に触れて、うさぎさんは、愛のリアリティーを新しい言葉づかいで表現するようになった。具体的には、「ナルシシズム」と「自己愛」の分節化である。
〈では、「自己愛」とは何か。「ナルシシズム」が「自分に恋する」ことであるなら、「自己愛」とは文字どおり「自分を愛する」ことであろう。となると「恋」と「愛」の違いが、そのまま「ナルシシズム」と「自己愛」の違いということになる。/(中略)たとえば「母性愛」という言葉で表現されている感情は、私に言わせれば必ずしも「愛」ではない。盲目的で排他的な母性愛はもはや「愛」ではなく「恋」に限りなく近いものであり、「ナルシシズム」の延長線上に位置するものだと感じる。/(中略)我々はナルシシズムから極力脱却しようと試みる一方で、正当な自己愛を失わないよう気をつけなくてはならない。自分をしっかりと見つめ、その弱さも醜さも受け容れて愛すること……それが自己愛のあるべき形であろうと私は思う。己の弱さや醜さを受け容れられずに目を背けたり美化したり、逆に激しく憎悪したりするのは、すべて「自己愛」ではなく「ナルシシズム」の仕業だ。/自分嫌いは自分好きの裏返し、と、私は以前、子ども向けの自著で書いたが、自分を憎んだり嫌悪したりする気持ちはじつはナルシシズム過多の証なのだ。理想の自分、幻想の自分に恋するあまり、現実の自分を受け容れられない。このようなナルシスティックな自分嫌いは、己の価値を貶める行為であり、いつまでたっても正当な自己評価には至らないのである。〉
 イエス・キリストは、「隣人を自分のように愛しなさい」(「マタイによる福音書」22章39節)と述べた。自己愛は、隣人愛の前提なのである。ナルシシズムに苦しんでいる人はたくさんいる。そこから抜け出していく処方箋はなかなか描けない。うさぎさんは、夫をはじめとする何人かの具体的な人々との現実に存在する愛という関係によって、ナルシシズムの罠から抜け出すことに基本的に成功している。
 本書を読んで、私は自分の人生体験が浅いことを痛感した。私は臨死を体験したことはない。しかし、鈴木宗男事件に連座したとき、一度、社会的に葬り去られた。その意味では、社会的な臨死体験をしたと思っていたが、認識が甘かった。社会に問題を還元するのではなくうさぎさんのように己の問題として死についてもっと掘り下げて考えなくてはならない。中村うさぎ氏とこのテーマについて一緒に仕事をしたい。

 (さとう・まさる 作家・元外務省主任分析官)

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