書評

2015年9月号掲載

本気の教師、教師の本気

――吉崎エイジーニョ『学級崩壊立て直し請負人 菊池省三、最後の教室』

齋藤孝

対象書籍名:『学級崩壊立て直し請負人 菊池省三、最後の教室』
対象著者:吉崎エイジーニョ
対象書籍ISBN:978-4-10-334362-2

 北九州の公立小学校で、長年、荒れた学級を次々に立て直してきた菊池省三先生。言葉を重視した独自の授業が全国的に注目を集めていますが、本書は、菊池先生のメソッドが実際に運用されている様子を、二十九年前の教え子である吉崎エイジーニョ氏が二年間にわたって取材した教育ドキュメントです。教師というのは、日々変化していく子どもたちを目の前に、刻々と判断を求められる仕事で、例えば、本書で特にクローズアップされた一人の少年・堀之内孝太くんに対して、叱るのか叱らないのか、強く叱るのか一言だけで伝えるのか。または、叱るとは別のアプローチをとるのか。菊池先生が判断していくその過程が細やかに描かれていくので、読み手が臨場感をもって、先生の実践を体験することができる――それがまず素晴らしいと感じました。
 そのような菊池学級の二年間を読み、改めて、私が考えている教育のスタイルと菊池先生の授業とは、とても近いものがあると思いました。例えば、ほめ言葉のシャワー。毎日のホームルームの時間に、日直の子に対し、その日その子が良かった点をほめていくという、菊池学級独自の「ゲーム」があるのですが、必ずクラス全員一人ずつがほめるとか、ほめられた人は最後に感想を三つ言うとか、そのルールは徹底されています。そして、有無を言わせず学級全体でそのゲームを行っていく。すると、ルールが徹底されているから、照れくささも徐々になくなって、問題行動を起こしていた堀之内くんが、気が付けば人前できちんと挨拶できるようになっているというように、知らぬ間に子どもたちにコミュニケーション力がついていくのです。また、菊池先生は、例えば「十秒で班を作ろう」「グループの皆と十五秒で話し合おう」というように、授業を秒数で区切っていきます。大学生でもなかなかできない秒数=ルールで進んでいく授業、つまりは、言葉を中心にしたパワフルでスピーディーな授業によって、日本人が苦手とされる能力――ディベート力、ディスカッション力、プレゼンテーション力といった力を身につけることも可能にしています。「新しい教育内容」が必要なのではなく、教え方次第で現状でも可能だということを、菊池先生は証明しているわけで、他の先生たちが特に学ぶべき点ではないでしょうか。
 そんな基本姿勢はもちろんですが、読んでいる方に特に感じてもらいたいのは、菊池先生の意識の高さと本気度です。カバー写真の立ち姿だけでも普通とは違う気合いを感じられるのですが、菊池先生は、「この先出て行く公の社会でも通用する人間を育てる」という強いミッションをもって、莫大なエネルギーを発しながら日々子どもたちと対峙しています。「不退転の覚悟」を子どもたちに示している、とも言い換えられるのですが、かつて吉田松陰が弟子たちに対してそうだったように、まず教える側が覚悟を決め、相手に対して本気で立ち向かうというのが教育の基本であり、何より大切なことだ、と。そして、三十人のクラスならば三十人全員のちょっとした変化を見逃さず、「クラス全体を見ているよ」という強いメッセージを常に出し続けることによって、子どもたちの方にも、覚悟を求めていくのです。子どもは純粋ですから、そのエネルギーに最初は驚きながらも、教師の本気を瞬間的に察知するので、「この人の言うことは聞かないといけない」と思うようになる。たとえ穏やかに話していても、子どもにとっては「怖い先生」であるという、今の教育が失いつつある側面を、菊池先生は実現しているわけです。
 そして菊池先生は、大人と子どもの区別をつけません。「一人も見捨てない」「一人が美しい」など、自己形成を支える「価値語」(菊池先生の造語で、その時々で教室のなかで流行らせたい言葉のこと)を決めて、それをクラスの目標にします。小学校高学年には難しい言葉だとしても、です。それらの「価値語」は、これから社会へ出ていく子どもたちへの、先生からの「言葉の贈り物」とも言えるでしょう。それらを子どもたちがしっかり受け止めている様子も、よく伝わってきました。
 菊池先生にとって最後の教室となった二年間を、かつての教え子が本にしたということもですが、舞台同様、ライブ空間で行われるため、活字で記録され難い教育というものが、きちんと「作品化」されたことが、この本の何より素晴らしい点だと私は感じています。

(談)

 (さいとう・たかし 明治大学文学部教授)

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