書評
2015年9月号掲載
「三国志」を通して中国を撮る
――小松健一『写真紀行 心に残る「三国志」の言葉』
対象書籍名:『写真紀行 心に残る「三国志」の言葉』
対象著者:小松健一
対象書籍ISBN:978-4-10-339271-2
本書は、写真家の小松健一氏が長年撮りためてきた中国大陸の人と風景を、氏が愛読する小説『三国志演義』のなかの心に残る言葉にそって編集したものである。
目次頁に付された地図には魏・蜀・呉三国の遺址の地名が印刷されているが、その数の多さはまさに著者が三国志世界に賭けてきた情熱の深さを物語っていよう。そしてそれはさらに、頁をめくってゆくごとに組み込まれているカラー見開きの写真によって、今日もそこに生きつづける中国人たちの生活の息吹となり、読者の目と心を魅きつける。
写真だけ見返していっても小松三国志はおのずと立ち上がってくるけれど、とりわけわたしにとっては、そのうちのいく枚かはある懐旧とともに見入ってしまうのである。「点将台」跡から眺めた黄金色に映える黄河(八~九頁)、「三義廟」(一二~一三頁)、「曹操運兵道」(一六頁)、「虎牢関」(二〇~二一頁)……なぜ懐かしいのか? 小松氏が腰を構えレンズを通してそれらと対峙しているとき、数歩はなれたそばに私も立っていたから。
小松氏は一九九一年の冬、三国志を撮るため初めて大陸に旅立った。それからというもの連年、あるいは数年の間をおいては幾度となく中国を訪れている。
わたしは、日本と中国の戦争状態が終結して両国の国交が回復した一九七二年の秋(そのとき二十五歳だった)以降、未知の大陸行への衝動に駆られて、数カ月に一度というペースで十日から半月の短期旅行を繰り返していた。中国古代史の舞台(それは『詩経』や『論語』や『史記』の世界だが)を、いわばやみくもに尋ね歩いているうちに、日本では味わえぬ大陸自然の空間感覚と歴史・政治の奥深さに取りこまれていった。
七〇~九〇年代の中国の旅行事情は、今日では想像するのがむつかしいほど不便だった。それだけにかえって、袖ふれあう中国の人びとの情は優しくこまやかで、思いやりにあふれていた。そんな時代のあるとき、小松氏とわたしは出会い、何度かの中国取材旅行を共にして、ムック版の『三国志誕生』(共著、一九九六年)を刊行したのだった。
旅先でのエピソードにはこと欠かない。ここでは最も印象に残っている出来事を簡単にご紹介しよう。
一九九四年夏、わたしたちは洛陽の取材を終え、夜行列車で湖北省漢水ほとりの襄樊(じょうはん)へ向かった。後漢の戦略的要地である。列車は大幅に遅れ、午前三時に襄樊駅に到着した。駅頭に出迎えの旅行社の車が見当たらずあわてたが、なんとか捜しあてた。疲れて車の中で眠っていたらしい。
寝ぼけ眼の若い運転手は、濃霧で見通しのきかない夜明けまえの幹線道路を、フルスピードで対岸にあるホテルへ向かって突き進む。後部座席の小松氏とわたしは気が気でなく、スピードを落とすように注意したが、聞かない。
と、ひとつの交差点にさしかかったとき、野菜を積んだリヤカーつき自転車を押す黒い影が突然、左方から車の前方に現われ、あっという間もなくドンという衝撃音とともに、朝市に向かう農婦が投げ出され、辺りに野菜が散乱した。運転手は降りていったものの、自分の車の凹みばかり気にして、道路にうずくまったまま訴える農婦には声もかけない。
このときである、車外に出た小松氏はすぐに農婦を病院に連れていくよう運転手に強く指示し、積みこんでいた写真機材のすべてを車から降ろした(ここまでは小松健一著『三国志の風景』にも触れている)。
わたしは運転手に通訳しながら、小松氏のこの行動に言いしれぬ義侠心の発露を見た。この時刻にタクシーなどあるはずもなく、重い機材をふたりの肩にかけ、雨の中をホテルに向かって歩くこと二時間半。しかしその間ずっとわたしは、肩に食いこむ重さもずぶ濡れになった寒さも感じなかった。
本書を構成する数多くの写真と三国志の言葉の背後には、そのような小松氏の人間観が流れている。小説とはいえ、小松氏が蜀の諸葛孔明に思いを深くするのは、理由のない事ではないのである。
(なかむら・すなお 作家、中国研究家)