書評

2015年10月号掲載

大胆不敵なはなれわざ

――佐々木譲『犬の掟』

千街晶之

対象書籍名:『犬の掟』
対象著者:佐々木譲
対象書籍ISBN:978-4-10-122328-5

 実際に起きた警察不祥事をモデルにした『笑う警官』に始まる「北海道警察シリーズ」、警官一家三代の歴史を描いた大作『警官の血』、第百四十二回直木賞を受賞した連作短篇集『廃墟に乞う』、未解決事件を調べ直す「特命捜査対策室」の捜査を描く『地層捜査』や『代官山コールドケース』等々、さまざまなタイプの警察小説を発表してきた佐々木譲が、このたび新たな意欲作を上梓した。《週刊新潮》に昨年夏から約一年間連載されてきた『犬の掟』がそれだ。
 本書は、ある殺人犯が人質を取って逃走した事件からスタートする。犯人を追っていた大井署の門司孝夫巡査長と波多野涼巡査は、犯人が立てこもる水産会社の倉庫に踏み込むが、その際、波多野は犯人に逆襲され負傷する。そこに到着した第一自動車警ら隊の松本章吾巡査は、偶然にも波多野の警察学校の同期にあたる。彼は倉庫から銃声が聞こえた時、上司の制止を振り切って現場に駆けつけ、犯人を確保する。
 この事件はプロローグであり、ここで物語は七年後に飛ぶ。新たに起こった事件によって、波多野、門司、松本という三人の警察官の運命は再び交錯することになる。
 東京湾岸に停まっているセダンの助手席で、手錠をかけられた男が射殺されていた。被害者は暴力団・小橋組幹部の深沢隆光。その現場で、波多野と門司は久しぶりに再会する。あの倉庫の立てこもり事件から七年目、二人は同じ所轄、しかも同じ刑事課で同じ事件を担当することになったのだ。小橋組は現在、目立ったトラブルを抱えていない様子だが、被害者の深沢は、ヤブイヌと呼ばれる半グレ集団と対立していたらしい。また、彼の遺体からはスタンガンを押しつけられた痕が発見された。波多野と門司はコンビを組んで捜査に取りかかるが、その過程の著者らしいリアリティは本書の大きな読みどころとなっている。
 一方、七年前の事件に関わったもうひとりの警察官である松本は、実力を認められて警視庁捜査一課に抜擢されていた。彼とその上司の綿引壮一警部補は、伏島管理官から密命を与えられる。深沢殺害と、二年前に起きたもう一件の変死事件――ふたつの事案の被害者につながりがあり(しかも、どちらの遺体からもスタンガンとみられる痕が見つかっていた)、その上、警察関係者の犯行の可能性があるので、所轄とは別に秘密捜査を行い、両事件の犯人を突きとめろ、というのだ。
 波多野や門司の捜査と、松本の密命――両者は同じ事件を調べつつ、アプローチが異なるため終盤まで交錯することはない。それぞれの前に浮かび上がってくる新たな事実をすべて知り得る立場の読者は、両者が事件の核心に迫りそうでいながら、情報が共有されていないためなかなか真相を掴めない展開を、歯がゆい思いで見守ることになる。
 半グレ集団、警察内部の自警団的存在、外国人支援団体など、捜査線上にはさまざまな存在が浮上するも、どれが真相への近道なのか、終盤までなかなか見えてこない。また、スタンガンを用いた変死事件が神奈川県警の管轄内でも発生していたことが判明するが、それらがすべて同一犯人によるものなのかも判然とせず、五里霧中の状態が続く。
 ふたつの捜査がようやく交わった時、事件は急転直下の展開を迎えるが、読者はこの時、何故本書がこのような構成(七年前の事件がプロローグとして描かれている意味など)でなければならなかったのかを初めて悟るだろう。具体的には書けないけれども、著者の警察小説でもちょっと類例がないほどの大胆不敵なはなれわざであり、真犯人の異様な心理状態とともに強烈な印象を残す。「警察官同士の連帯感よりも、法を優先させるだろう」と見込まれて密命を与えられた松本がただならぬ衝撃を受けたほどの真実とはいかなるものであるか、読者もしかと受け止めていただきたい。

 (せんがい・あきゆき ミステリ評論家)

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