書評
2015年10月号掲載
迷える四十代必読! 秋の夜長に大人泣き!
――小野寺史宜『ひりつく夜の音』
対象書籍名:『ひりつく夜の音』
対象著者:小野寺史宜
対象書籍ISBN:978-4-10-121152-7
四十代半ばを過ぎて、気がつけば人生の先が見えてきた。いや、違う。先が見えたような気に、なってきた。
仕事も、私生活も、この先きっと劇的な変化はないだろう。今さら転職は困難だし、これから子供を産むとも思えない。となれば、出来るだけ長く、平穏な暮らしが続けられるよう仕事に励み、周囲の人たちと良好な人間関係を保つ努力をするべきだ。そう分かっているのに、これがまた難しい。
もう自分に伸びしろはない。潮は確実に引く一方で、満ちてくることはない。無理をして、頑張って、いったい何になるのか。もう充分じゃないか。心の片隅で、何かを確実に諦め始めているのだ。
〈自分が破滅に向かっているような気がする。〉
本書の主人公である四十六歳の下田保幸は、淡々とした日々の中、ふとそんなことを思う。高校時代にクラリネットの魅力に開眼し、大学を中退した後、ディキシーランド・ジャズのバンド『井村勝とロンサム・ハーツ』に加入。以来、プロのクラリネット奏者として生きてきた。しかし、半年前、リーダーの井村が亡くなり、四十二年間続いたバンドは解散。他のメンバーたちがそれぞれ新たな道を歩み始めた一方で、下田は動き出せずにいた。
加入した当時から、既に稼げるバンド、というわけではなかったが、それでもまだ市町村のイベントや中高生向きの芸術鑑賞会など一定の需要はあった。歌手のバックバンドの一員としてテレビにレギュラー出演していたこともある。その当時、セカンドハウスのつもりで購入した家に、下田は今ひとりで住んでいる。東京から電車で三十分強、蜜葉市四葉に建つ、隣家まで五十メートル離れた小さな平屋の2DKだ。
週に二日、音楽教室でクラリネットの講師をしている。収入はそれがすべて。それだけで生きてはいけないので、生活を切り詰めた上で少ない貯金をとり崩してもいる。食費は基本一日五百円。一丁二十九円の豆腐に、三パック五十円の納豆。一斤七十七円の食パンに、ちくわを挟んだ昼食を毎日食べる。調味料はほとんど使わない。豆腐やキャベツもそのまま食べる。もちろんちくわパンも。唯一の贅沢は、週に一度だけと決めたファミレスの朝食バイキング。三時間近く居座り、無料の新聞を隅々まで読むのが楽しみだった。
明日にも破綻するということはないが、節約を続けても、三年はもたない。クラリネットを吹く時間は、日々短くなっていた。
物語は、そんな止まりかけていた下田の時間が、再び進み始めるまでの約一年間を描いていく。厳冬、憂春、烈夏、清秋。ある夜かかってきた一本の電話を機に、初めて会った昔の交際相手の息子・佐久間音矢。イベント会場で再会した高校時代の同級生・鈴森朋子。下田は、音矢の母・留美とかつて〈音の矢で、音矢。男の子にその名前はいいな〉と話したことを覚えていたし、吹奏楽部でクラリネットを一緒に吹いていた鈴森とは、三十年の時を経て関係を結ぶ。
息子かもしれない男の出現。思いがけず新たに始まった恋。
しかし、だからといって、下田は急激に気持ちを入れ替えたりしない。慌てず騒がず、されど逃げ出さず、自分のペースを守り続けるのだ。
その冷静さが、臆病さが、他人事とは思えなくなる。何者かになりたいと願い、ひたすらその道を走り続けてきた果ての迷いが、揺れが、切なくてたまらなくなる。感情をコントロールすることにすっかり慣れたつもりでいたのに、どうしようもなく愛しさが込み上げてくる。
地味な話だ。でも、なのに沁みる。声高に叫ぶのではなく、慎重に調整された物語のトーンが実に心地良い。二〇〇六年に「裏へ走り蹴り込め」でオール讀物新人賞を受賞してからもうすぐ十年。僭越ながら巧くなったなぁとしみじみ思う。
作中、自分にはもう伸びしろはない、と言った下田に朋子は応える。
〈「伸びなくても、ふくらむことはできるんじゃない?」〉
この心強さは、きっと迷える四十代の救いになるだろう。
(ふじた・かをり 評論家)