書評・エッセイ

2015年10月号掲載

胃袋と細胞分裂

――日和聡子『校舎の静脈』

池内紀

対象書籍名:『校舎の静脈』
対象著者:日和聡子
対象書籍ISBN:978-4-10-303772-9

 短篇三つと比較的長めの標題作を収めている。先の三篇は最後の一つのための意匠をかえたプロムナードといった役まわり。「校舎の静脈」とはフシギなタイトルだが、読んでいるうちに気がつく。絶妙な命名でもあって、しだいにブドウ色の静脈がすけて見えてくる。
「町を見下ろす丘の上に、青ざめた外観の校舎が立っていた」
 これが書き出し。廊下の隅に給食運搬用のリフトがあった。小さなエレベーターといった感じで、食器や食缶をのせて、昇り降りする。ある日、「二年一組の英祥太が、その中へ入った」。
 物語を動かすキーワードは、冒頭のこの一行だけ。あとはどこにでもある、ごくおなじみの中学生活が語られていく。報道部の佐原薫はお昼の放送のあと、レコードを流しながら大急ぎで給食を食べる。二年二組の篠田衿香は鯨肉の竜田揚げを食べながら、肉の咀嚼に「巨大な鯨の存在」を感じていた。珠洲谷尚人は黒板の連立方程式を消すと、黒板消しを電動掃除機にかけた。すさまじい音がする。この日の終礼後、日直の当番の女生徒は「学級日誌」をつけた。連絡事項の一つ、「英祥太君のお見舞いについて」。
 ほかに早見佐知子、玖川観喜子、緑塚敏、家庭科室のテラスの洗濯機と給食当番。「結構これ古くない?」「おれん家のよりかまし。」給食関係が多いのは、中学生はやたらと腹がへるからだ。「くっそう、腹減ったのう!」
 こちらが動脈とすると、あわせて学校の「静脈」が顔を出す。冒頭に出てきた給食運搬用のリフトにつき、「タイムトンネル」とか「黄泉の穴」とか言った者がいた。「ほいじゃあ、確かめてみようで。」「どがあやって?」「誰かが中へ入って、自分で調べてみるしかなかろう。」そう言って英祥太はリフトの中へ入ったらしい。
 さらにほかにも真帆知代の学生鞄が姿を消して、およそ場ちがいなところで見つかった。節長里美と齢晴香は将来何人子どもを生みたいかしゃべっている。バレー部の次期キャプテン酒本真代は練習中に足をひねった。佐野春子は中間試験の準備をするはずが、押し入れから出てきた小学一年のときの作文に気をとられて勉強に入れない。
「英祥太は、冷え込んだ明け方近くに、屋島園枝のもとにあらわれた」
 中学生は明け方ちかくヘンな夢を見るものだ。
 日和聡子が書きたいと念じている「もうひとつの世界」。それがあざやかなかたちで実現した。大層なレトリックをかりず、日本語の曲芸によらず、ことさらな仕掛けも要さず、たえず腹をすかせている群像によって生み出したところが秀抜で、たのしい。ガラスの破片のようにちらばって、ある微妙な欠落感を浮かび上がらせる。誰もが抱いている、いたって現代的な心理状況なのに、これをめぐって書かれることはきわめて少ない。書くのが厄介だし、苦労して書いても、ほとんど評価されないし、評判にもならない。漠然とした、しかし特有のある空気。いかにも微妙で、いつも言いそびれている言葉のようなもの。それを言葉にしようとするのは、詩人性の濃いこの人のやむにやまれぬ衝動だろう。
 中学生のたあいないやりとり。とりとめのない日課と日常の過ごし方。それをこんなに巧みに書きあげた。細胞から細胞が分かれるようにしてふくらんでいったのだろうか。どこにでもあって、どこでもない、もうひとつの世界。好みのままに寄り道して、どこにいくのかわからないが、ちゃんと目的にそってすすんでいく。そこに一貫するそこはかとないユーモアは、作者の成熟のしるしである。
 幼いころ、海水浴場のよしず張りの脱衣所で見た、そこだけまっ白な少女たちのおしり、ふくよかで、弾んでいて、もつれ合って、青い静脈のすけて見えるような白いおしりを夢見たが、お腹の鳴る十代グラフィティはやはり胃袋であって、物語は廊下の隅から運ばれてきたワゴンと給食の準備で閉じられている。

 (いけうち・おさむ ドイツ文学者)

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