対談・鼎談
2015年10月号掲載
『世界一美しい本を作る男~シュタイデルとの旅 DVDブック』刊行記念
美しい本ってなんだろう
クラフト・エヴィング商會(吉田浩美 吉田篤弘)& 新潮社装幀部 黒田貴
話題のドキュメンタリー映画初DVD+シュタイデル社訪問記&特別インタビューの「ブック」発売!
記念に装幀のプロが美しい本をめぐり語り合います。
対象書籍名:『世界一美しい本を作る男~シュタイデルとの旅 DVDブック』
対象著者:『考える人』編集部/テレビマンユニオン編
対象書籍ISBN:978-4-10-339581-2
ロバート・フランク、カール・ラガーフェルド、ギュンター・グラス……天才たちに愛され、世界中のコレクターが新刊を待つシュタイデルは、人口12万人ほどのドイツ地方都市にある、40人ほどの小さな出版社。企画、編集から印刷まで一貫する本作りと、社を率いるゲルハルト・シュタイデル氏の日常を世界中に追った映画は、2013年に日本でも公開され、全国的にロングランヒットを記録した。季刊誌『考える人』が実際に社屋に足を踏み入れてご本人のスペシャルインタビューをまとめたことから映画とつながり、このユニークなDVDブックの発売に至っている。
黒田 待望のDVD化です。ご覧になっていかがですか?
篤弘 映画のヒットは聞いていたのですが、「ドイツの出版社に取材した映画」という認識だけで、前情報を入れずに今回初めて拝見しました。見始めて、すぐに思ったのは、このシュタイデルさんという人は、「本のドクター」である、ということです。
浩美 服装からしてお医者さんですよね。
篤弘 なにしろ、なにを訊かれても即答しています。会社の部下だけでなくアーティストから質問を受けても、「それはこうだ」と言い切って明快に答えていく。信頼できる医者のような人だな、という印象を受けました。ただ、人と会って話をすることが好きなのかなと最初は思ったのですが、「ブック」のスペシャルインタビューを読んでみたら、どうも違うようで、アーティストと打ち合わせをするために世界中を旅しているけれど、決して「旅は好きじゃない」。彼にとっての旅は、患者であるアーティストを診てまわる「往診」なんですよね。
それと、この映画はナレーションがなくて、ひたすら旅をしながら打ち合わせを繰り返すシュタイデルさんを追っていくので、何を考えているのか、彼のプライベートはどうなっているのかなど、見れば見るほど、そういったことが知りたくなります。冊子になっている「ブック」を読むと、その答えが書いてあるので、映画の背景を知りたい人には、「ブック」がうまく補完してくれます。「DVDブック」であることの意義を感じました。
浩美 「アーティストになりたかったけれど、ヨーゼフ・ボイスに出会って自分は三流にしかなれないとわかった。それなら技術を磨いてよりよい作品をつくる手助けをしようと決めた」という彼の言葉も印象的でした。その後彼は、よりよい印刷機をお金を貯めては買い、技術力を高めていく。医者としての「経験値」を上げていくんですよね。
篤弘 本を作るときに、予算が充分にあって、好きなようにつくって良いと言われると、逆に選択肢が増えてうまく行かないことがあります。でも、彼はそのあたりを羨ましいくらい自由に進めています。素早い「診断」も、この技術と経験があってこそでしょう。なにより、すべてを一貫してひとつ屋根の下で行えるというのは日本にはない理想的な環境で、この点も作家やアーティストからの信頼につながっていると思います。彼はあたかも本の声を聞き取るようにして判断してゆく。そこには熟練による安心感があって、まさに本のドクターなんです。
黒田 彼に共感を覚えるところはありますか?
篤弘 インタビューの中で、14歳のときにコダックのレチナ35ミリフィルム用カメラを買ってもらったと話していますが、ぼくも同じカメラを持っています。アメリカ製ですが、写りがいいだけじゃなく、すごく面構えがいいカメラなんです。ドイツ製のカメラは高価ですから、少年が使うにはアメリカ製のものが手頃だったのでしょう。おそらく、このカメラを手にしたときに、シュタイデルさんの出版人としての人生が決まったんじゃないかと思います。
黒田 カメラで、ですか?
篤弘 カメラというのは、世界でいちばん小さな出版社であり、印刷屋なんです。カメラを構えたときに、すでに何を写すかという編集作業をしているし、自ら暗室で現像からプリントまでしていたようですから、それはつまり自分で印刷することに等しい。14歳のころからプリントを始めてお金を稼いでいたそうですから、自然と身体化していったんですね。それが彼のルーツだと思います。はじめて、印画紙にプリントした写真を見たときの驚きが、その後の人生を決定づけたのではないでしょうか。
黒田 シュタイデル社の本をどう思われますか?
篤弘 タイトルになっている、「美しい本」という言葉をどう定義するか、あらためて考えさせられました。たとえば、カバーのデザインがいくら美しくても、それだけで「美しい本」とは言えません。手触り、重さ、匂い、インキの載り方――さまざまな要素が要約されて「美しい」という言葉になっているんだと思います。シュタイデルさんの本は、まず素材からして素晴らしいですね。
浩美 紙やインキの匂いがしっかりしますし、なによりこの印刷の質の高さです。用紙も日本では見かけないようなものですよね。装飾に凝った趣味的なデザインではなく、本来的な「美しさ」に立ち返った本だなと思いました。隅々まで神経が行き届いているのが手に取るとよくわかります。
篤弘 もちろん、中身のテキストや写真といった素材そのものが輝きをもっていることが大事です。中身が美しければ、本来、装幀デザインが担うところは、ほんの少しでいいんです。余計なことをする必要がない。でも、最近の日本の本は広告的な要素を乗せすぎて過剰なデザインになってしまっているように感じます。
そこで黒田さんにうかがいたいのですが、新潮社の装幀部は、編集部とすぐにやりとりができる同じ屋根の下にあって、シュタイデル社にも似た理想的な環境です。このシステムは、どのようにして生まれたんでしょう?
黒田 私自身は、1995年に中途で新潮社に入社しまして、以来装幀を手がけています。昔は編集者自身が文字組を含めて装幀をやっていたんですが、刊行点数が増え、さまざまなタイプの本が出てくると、専門スタッフが必要となり、最終的に部署となりました。
浩美 そういう経緯だったんですね。装幀部にはいつもお世話になっています(笑)。
黒田 こちらこそです(笑)。せっかくなので、今日は「新潮社の美しい本」についても語ろうと、過去を遡って美しい本を集めてみました(その数たるや30冊以上、20人でも囲めるテーブルがすっかり埋まってしまった)。
篤弘 壮観ですね。きれいだし、楽しいです。
黒田 『うかんむりのこども』(吉田篤弘著)も持ってきました。こちらはご著作ですが、装幀も、中のイラストもすべて手掛けてくださった一冊ですよね。ファン垂涎の本。
篤弘 『銀座百点』で連載していた原稿をまとめたものですが、『銀座百点』の横長の判型をベースにしてつくりました。今見ると、ずいぶん帯が細いですねぇ。幅40ミリですか。よくOKが出ました(笑)。
黒田 こういう本はこちらも楽しいです(笑)。
篤弘 シリーズ刊行時に感嘆したのは新潮クレスト・ブックスです。最初の『キス』(キャスリン・ハリソン著、岩本正恵訳)を書店で手にしたとき、見た目より軽い本なのに、つくりがしっかりしていて、資材の選択に、いままでにない新鮮なものを感じました。裏表紙に推薦の言葉や概要があるのが洋書みたいで、それがまた格好よかった。
浩美 黒田さんのご担当では、第五次小林秀雄全集(2001年から配本開始・全14巻+別巻2巻+補巻3巻)が、当時の本の技術の総力戦だったと聞きましたが?
黒田 小林秀雄全集は語らせると長いです(笑)。第二次全集以降すべて新潮社からですが、第五次は著者の没後初めてなので、「近代日本出版史に残る最高傑作をつくろう」という掛け声で始めました。ベストセラー『本居宣長』(昭和52年)の美しいイメージを踏襲しています。活版はすでになくなっていましたが、活字を電子化した書体を使い、継表紙の背や(平の部分の)布、簀の目(レイド)が入った本文用紙、そして昔ながらの貼り函などはなくなるギリギリのところで使うことができました。コンピュータ製版全盛になる前の、人間技による最後の全集と言ってもいいと思います。それから、担当編集者の組んだ本文組の美しさは、内容を身体化しているからこその結果ですね。
浩美 そうだったんですか! こちらもきれいな本ですね。『百年の孤独』は、開くと……!(G・ガルシア=マルケス著、鼓直訳、同じ訳者で改訂版、新装版と刊行。浩美さんの手には2006年刊「ガルシア=マルケス全小説」シリーズのものがある。)
黒田 お手元の版では表紙に贅沢なプライク、見返しにチョコ・グラシンというお菓子の紙を使っています。1999年版も、見返しはヴァルズを使っている上に、半分に切っているし(笑)。
篤弘 ぼくが新潮社の美しい本で思い出すのは、『堀辰雄全集』なんですが、青と白で正方形に近い判型の……。
黒田 これですね。1954年に出た豪華な『堀辰雄全集』とは趣きと内容を異にするもので、1958年に出た別のものです。継表紙の背に紙クロスを使っていて、正方形に近い版面なのに文字組が読みやすく置かれている。巻頭の著者写真を覆うグラシン紙の上に、「昭和五年撮影・東京にて」とキャプションが印刷されている!
篤弘 活版技術あってこその印刷ですね。家に帰ってもう一度見直しておかないと(笑)。美しい本というのはやはり、読みやすさも含めて「気持ちが行き届いている本」なのだと実感します。(……と、美しい本談議は5時間ほど続いた。)
(くらふと・えゔぃんぐしょうかい 作家、デザイナー&くろだ・たかし 新潮社装幀部)