書評
2015年11月号掲載
「逃げる勇気」で景色が変わる
――崇史『逃げる勇気 「できる人」は九割を捨て、たった一割で勝負する』
対象書籍名:『逃げる勇気 「できる人」は九割を捨て、たった一割で勝負する』
対象著者:崇史
対象書籍ISBN:978-4-10-339671-0
仕事から逃げる。
そう聞いて、皆さんはどんな感想を持ちますか?
無責任だ、他に迷惑がかかる、問題の先送りじゃないか、会社員失格......。「逃げる」という言葉には、災難を避けるという意味以外に、与えられた任務を放棄する、困難に立ち向かわない、社会人としてあるまじき態度、というネガティブな印象を受けるかもしれません。でも、果たしてそれは正しいのでしょうか?
コーチング実績の豊富な経営コンサルタント、崇史さんが書かれた本書には、そのタイトル通り、「逃げる勇気を持て」とあります。崇さんは、「仕事から逃げたらダメ」という思い込みそのものが、実は仕事で結果が出ない原因だと断言しているのです。
例えば、本書に登場するAさんは「NOと言えない人」。頼まれごとを断れば嫌われるという恐れのあまり、たとえ理不尽な依頼でも「逃げる」ことができません。やがて自分の仕事のスケジュールにまで支障が出て、帳尻合わせのために残業が続くようになります。もう一人、管理職のYさんは「仕事を抱え込んで」自滅するタイプ。すべての情報を自分で把握しないと気がすまず、しかも信頼する部下に任せられない、つまりその仕事から「逃げる」ことができないので、自ずと意思決定が遅れ、さらに過労で入院する事態に。
かつてNHKのアナウンサーとして、報道の現場で働いていた私にも、思い当たる節があります。
東京アナウンス室時代、あるひき逃げ事件のご遺族の自宅を突き止め、自分一人でカメラとマイクを手に、娘さんを亡くしたばかりの親御さんのコメントを取ることができたのです。他局はまだそこに辿り着いておらず、まさにスクープ。ご遺族の声を聞いて、逃走中の犯人が自首してくれればいい、ぐらいの気持ちでした。しかし、放送後、社会部のデスクだった先輩に烈火のごとく怒られたのです。「娘を突然失った混乱と慟哭の中で、親は落ち着いてコメントなんてできない。思ってもみないことを口走ることだってあるんだ。そんな映像を流してどうする!」と。
冷静になって考えれば、確かにその通りです。入局以来ずっと、自分の足で現場に向かい、自分の感覚を頼りに取材するスタイルを貫いてきた私でしたが、自分がやらなきゃ、という思いが周囲への疑心暗鬼を生み、独善的に動いてしまった。崇さんが指摘する「仕事を抱え込んで」しまうタイプに近く、いつの間にか独りよがりになっていたのです。先輩や信頼するスタッフの意見に少しでも耳を傾けていれば、ご遺族の心情をもっときちんと伝えられたのかもしれません。
まだ新人の頃ならば、気力、体力、そして伸びしろも含めて、あえて「逃げる」ことをしなくても、仕事に邁進できると思います。誰にも頼らず、「俺が、俺が」でも一向に構わないのです。でも、スキルをある程度身につけた三十代、四十代になればこそ、実は一人じゃ何もできない、自分の力だけじゃプロジェクトは成功しないと気づくはず。普段から仲間としっかりコミュニケーションをとっていれば、理不尽な頼み事にも毅然と「NO」と言えるし、互いに得意な分野を知っているから、結果を出すために遠慮なく誰かを頼ることもできる。そういう「逃げ場」を把握することで、組織の中の景色は一変し、仕事の見晴らしが良くなるのです。これこそが、「逃げる」の本質といえるでしょう。
私は二年前にNHKを退局して、フリーランスになりました。退局前から自分自身で立ち上げていた市民ニュースサイト「8bitNews」に本腰を入れる中、立ち位置的にはどうしても独りよがりになりがちなのですが、取材先などで出会った様々な方から有形無形のご支援をいただき、以前にも増して「逃げる勇気」の大切さを実感しています。
組織の中で苦しみの渦中にある方はもちろん、自分の仕事は順調だと思っているビジネスパーソンにこそ、ふと立ち止まって読んでいただきたい一冊です。
(ほり・じゅん フリージャーナリスト)