書評

2015年12月号掲載

「原稿は燃えない」と証明した、この数奇な作家

――ミハイル・ブルガーコフ『犬の心臓・運命の卵』(新潮文庫)

戸田裕之

対象書籍名:『犬の心臓・運命の卵』(新潮文庫)
対象著者:ミハイル・ブルガーコフ著/増本浩子、ヴァレリー・グレチュコ訳
対象書籍ISBN:978-4-10-220006-3

 私のような英語圏のフィクションやノンフィクションの翻訳を仕事にしている男がなぜロシア・ソヴェト文学の紹介をするのかと訝る向きもあろうかと思いますが、実は私、四十年前は一応ロシア文学を専攻していて、あろうことか、卒業論文のテーマが『犬の心臓』を中心としたブルガーコフ論だったのです。それが編集部の知るところとなって大役を仰せつかったのですが、もとよりロシア文学の専門家でもないので、多少は知ったかぶりを許されるであろう一読者として、ブルガーコフと彼の作品の面白さをお伝えできればと願うところです。
 さて、『犬の心臓』(一九二五年執筆)ですが、冒頭、野良犬のコロはプレオブラジェンスキー教授という医師に拾われ、飢える心配のない生活を享受するようになります。ところが、ある日、死んだばかりの飲んだくれの男の脳下垂体と睾丸を移植されます。日が経つにつれて、コロは二本脚で立って歩き、人間の言葉を話しはじめ、元々の脳下垂体の持ち主であった男の品性そのままの野卑で下品な立ち居振る舞いをするようになって、ついには自分の創造主である教授に楯突き......という物語です。
『運命の卵』(一九二四年執筆)では、舞台が一九二八年のモスクワという近未来に設定されています。高名な動物学者のペルシコフ教授が、生物を異常な速度で繁殖させ、成長させるという赤色光線を発見します。折しも、何らかの疫病でロシア全土で鶏が全滅し、当局はペルシコフ教授の光線に目をつけて鶏の増産を目論み、実験段階にあった光線を無理矢理実用化したのですが、ある手違いから、鶏ではなくて蛇と駝鳥とワニができてしまい、巨大化したそれがモスクワに迫ってきて、ついに......。
 二つの作品の粗筋をざっと紹介してみましたが、革命のあとまだ確立するに至っていないソヴェトの体制への批判、風刺、皮肉が投影され、それによって引き起こされた一般の人々の生活の混乱と荒廃が共通して描かれていることは確かです。しかし、そこには、皮相な体制批判、社会批判にとどまらない何か、科学(あるいは科学的社会主義)は無謬(むびゅう)であり、論理的であれば過つことはないという考えに対する疑いが通底しているように思います。また、この二つの作品(そして、『悪魔物語』や『巨匠とマルガリータ』なども)は、現実と非現実、日常と非日常が忙しく交錯し、ブルガーコフならではのグロテスクな手法、悪魔の哄笑を感じさせるような手法、SF的な手法が採り入れられていくつもの層を構成し、描かれた世界に厚みと深みをもたらしています。同時に、それによってプレオブラジェンスキー教授やペルシコフ教授をはじめとする登場人物全員(コロとコロフももちろん含めて)に、微苦笑を誘うような温かみと哀しみを与えることにも成功しているのではないでしょうか。
 ミハイル・アファナーシエヴィチ・ブルガーコフは一八九一年、キエフに生まれ、医師から作家に転身しています。長編小説『白衛軍』、中編『悪魔物語』などで高い評価を受けながらも徐々に作品発表の場を失い、演劇の世界でも上演禁止処分を受けるようになり、スターリンに直接亡命嘆願の手紙を書いたけれども認められず、それでも『巨匠とマルガリータ』を書きつづけながら、一九四〇年に世を去っています。生前にきちんとした形で出版された単行本は、一九二〇年の二冊の時事的な風刺・ユーモア作品集を別とすれば、『運命の卵』を含む中編集『悪魔物語』だけで、『巨匠とマルガリータ』で復権を果たすまでには四半世紀を待たなくてはなりませんでした。『巨匠とマルガリータ』のなかの「原稿は燃えない」という悪魔のヴォランドの言葉がようやく証明されたわけです。
 以下は蛇足です――『犬の心臓』と『運命の卵』は『悪魔物語』と三部作をなしているという見方があります。『悪魔物語』はマッチ工場の事務員が馘(くび)を言い渡され、それを撤回してもらうべく奔走しているうちに非現実に紛れ込み、一人であるはずの人物が二人になって彼の前に現われたり、机の引き出しから人が出てきたりと、グロテスクと非日常が、筒井康隆もかくやと言わんばかりに連ねられます。この作品も岩波文庫に収録されているので、是非一読をおすすめします。

 (とだ・ひろゆき 翻訳家)

最新の書評

ページの先頭へ