書評

2015年12月号掲載

「縄文」とは、つくられた歴史概念であった

山田康弘『つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る』

山田康弘

対象書籍名:『つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る』
対象著者:山田康弘
対象書籍ISBN:978-4-10-603778-8

 歴史の授業で習う「縄文時代・文化」という概念が、戦後の一国史を語る上で意図的につくられた政治的な側面を帯びたものであるということを、いままでどれだけの人が意識していたであろうか。
 本書では、「縄文時代・文化」という概念が明治時代以降どのように形成されて来たのか、その来歴をトレースすることによって、「縄文時代・文化」が、発展段階的歴史観から戦後における新しい一国史を語るために用意されたものであったことを明らかにするとともに、「縄文時代・文化」という用語が一般化した一九五〇年代から六〇年代が、戦後の日本が真の独立国家として国際社会に復帰していった時期と重なり、その意味で「縄文時代・文化」が「日本が独自の歴史を語る」際に使用され、広まった概念であったことを指摘した。筆者は、従来の教科書等で使用されてきた「縄文時代・文化」とは、この二つの意味において、政治的な概念であったと言うことができると考えている。
 一方で「縄文文化」が花開いた日本列島は、その差し渡しが主要四島だけでも、一五〇〇キロメートルを超え、その中には海岸地域や山岳地域などのほか、非常に様々な環境が存在する。自然環境に大きく依存していた「縄文時代」の人々は、これらの多様な環境に適応して、様々な生活様式を確立していた。したがって、現行の教科書やムック本などで説明されるような「縄文文化」像は、東日本を中心とした特定のモデルケースを取り上げてつくられた一イメージに過ぎず、その本質である多様な姿を描いてはいないと言える。
「縄文文化」とは、「日本の歴史において、狩猟・採集・漁撈による食料獲得経済を旨とし、土器や弓矢の使用、堅牢な建物の存在や貝塚の形成などからうかがうことのできる高い定着性といった特徴によって、大きく一括りにすることができる文化」という最大公約数的言説によって説明は可能だが、各時期の各地域において、それぞれ独自の地域文化を形作っていたという側面がある。それ故に、「縄文文化」とは決して日本全国等質なものではなく、各地の環境に適応しながら発達した地域文化の総体と捉えるべきであり、この呼称を使用する時点で、「一国史」的な括りを前提とするものであることを改めて指摘しておきたい。
 なお、本書には「つくられた縄文時代」という挑戦的なタイトルが付されている。当初、筆者は「縄文とはなにか」というタイトルを予定していたが、編集者との数度にわたる議論の末、ようやく決まったものである。いろいろと考えるところはあるが、「まずは手に取ってもらうことが大切」との助言に説得されたところが大きい。願わくば、ぜひ本書をご一読いただき、筆者が意図するところを汲み取っていただきたいと思う。

 (やまだ・やすひろ 国立歴史民俗博物館教授)

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