書評

2015年12月号掲載

「あたりまえ」を作りだす方法論

磯部成文・三宅秀道『なんにもないから知恵が出る 驚異の下町企業フットマーク社の挑戦』

新雅史

対象書籍名:『なんにもないから知恵が出る 驚異の下町企業フットマーク社の挑戦』
対象著者:磯部成文/三宅秀道
対象書籍ISBN:978-4-10-339521-8

 東京墨田区にある六〇人程度の中小企業であるフットマーク社。その会長である磯部成文さんと経営学者である三宅秀道さんの対談である。
 この本の売りは何か。
 まえがきには、商品開発がうまくなるための教科書である、と書いてある。商品開発というと、技術革新やマーケティングのことかと思うかもしれない。しかし、そこで語られているのはもっとラディカルなことである。消費者がまだ見たこともない商品をどのように思いついたか。そして、その商品の必要性をどのような言葉で表現していったか。そのプロセスの詳細についてである。
 その例として、「介護用品」の開発経緯を紹介しておこう。
 もともとフットマーク社は子ども用のおむつカバーをつくる零細の衣料メーカーであった。磯部さんが会社を引き継いだ一九六〇年代後半、近所の女性から、ある相談が持ちかけられた。大人用のおむつカバーを作ることはできないか、という相談である。おじいちゃんがおもらしをして困っているのでおむつを使いたいということだった。磯部さんは職人さんに頼んで特注品を作った。女性からはとても喜ばれた。
 同じような悩みをもつ家族が多くいることはすぐに想像がついた。磯部さんは、全国にこうした高齢者が数多くいるのではないかと思い、「大人用おむつカバー」という商品を売りだした。だがポツポツとしか売れなかった。磯部さんは「大人用おむつ」という表現に問題があると考えた。そのネーミングでは、おむつが子ども向けである、という常識をくつがえすことができないからである。
 磯部さんは、排泄に困っている家族があたりまえのように入手しうるネーミングが何であるかを考えた。そして、辿りついたのが、「病院の看護婦さんのやさしいイメージのある『看護』と、けが人を助ける『介助』を組み合わせた『介護』という言葉」だった。
 つまり、介護という言葉は、磯部さんの発明品である。じっさい、一九八四年には、「介護」がフットマーク社の商標として登録が認められている。こうして、フットマークは、「介護用品」という新しい市場を手に入れることができたのである。
 介護という言葉は現実を大きく変えた。高齢者が家族以外の他人から排泄のお世話を受けることも珍しくない。磯部さんは他社が「介護」という言葉を用いても使用料を取っていないが、その市場を創りだしたのがフットマークという会社であることは知っておきたい。
 わたしたちはマーケティングというと、消費者調査に代表されるように、人びとが何を求めているかを知ることだと思っている。そのことも大切ではあるが、本当のイノベーションは消費者調査からは生まれない。次の時代のあたりまえはほとんどの消費者も知らないのだから。
 三宅さんは、新しい市場をつくることを「文化開発」と呼んでいる。文化とは、日々の生活パターンのことである。そして、文化とは、日々のルーティンゆえに、なぜそれを日々おこなっているのかを問いなおしたりしない。たとえば、なぜ、わたしたちは箸をつかうのか、そんなことはあたりまえすぎて疑問に思うことはないからだ。
 社会学者は、人びとが疑問に思わず実践している行動や価値観について研究する人種である。おそらく磯部さんも、社会学者と同じような発想をする人なのだと思う。磯部さんはいまの「あたりまえ」を徹底的に疑うとともに、商品を通じて、異なる「あたりまえ」を提案している。その思考プロセスをこの対談集で知ることができる。

 (あらた・まさふみ 社会学者)

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