書評

2015年12月号掲載

吉村昭を読む

敗者としての戦犯を描く

――『吉村昭 昭和の戦争6 終戦の後も』

川本三郎

対象書籍名:『吉村昭 昭和の戦争6 終戦の後も』
対象著者:吉村昭
対象書籍ISBN:978-4-10-645026-6

 長い昭和の戦争は昭和二十年八月十五日に終わったが、それですべてが終わったわけではなかった。ひとつの大きな問題が、戦争犯罪人(戦犯)の存在だった。
 勝者である連合軍によって、上は戦争遂行に責任があったとされる政治家や軍人から、下は、捕虜を虐待したとされる一兵士に至るまで罪に問われた。彼らにとっては、戦争は終わらなかった。戦争中、自分は何をしたか、に向き合わなければならなかった。戦争に勝っていたら問題にならなかっただろう行為が、戦争に負けたことで罰せられることになった。
 吉村昭の『遠い日の戦争』(単行本は昭和五十三年に新潮社から出版された)は、この戦犯の物語である。書くのに困難があっただろうことは想像に難くない。
 戦犯は本当に、犯罪者と言えるのか。国のために戦っただけではないのか。とは言え、捕虜を殺したことになんの罪もないのか。戦犯に対しては、さまざまな見方が出来るが、吉村昭は、主人公の元陸軍中尉を戦争の犠牲者としてとらえている。さらに言えば、戦時と戦後を懸命に生きた日本人として、その苦難に寄り添おうとしている。
 昭和十九年生まれの私などの世代が、戦犯の存在を知ったのは、昭和三十三年、中学生の時に見たテレビドラマ、橋本忍脚本、岡本愛彦演出の『私は貝になりたい』でだった。
 フランキー堺演じる元日本兵は、戦後、四国で床屋を営み、平穏に暮している。ところが突然、アメリカ軍に逮捕される。戦時中、アメリカ兵の捕虜を殺した罪で戦犯にされた。上官の命令で仕方がなかったと必死に訴えても聞き入れられず、絞首台に送られる。最後、この実直な一庶民が「今度、生まれてくる時は、海の底に静かに暮す貝になりたい」と言うところは胸を衝かれた。
 政治家や軍人に比べ、権力とはまったく縁のない市井人が、戦時中は兵隊に取られ、戦後は、戦犯として処刑される。戦争の残酷さ、権力の怖ろしさを思い知らされた。このドラマは大評判になり、そのあと、橋本忍自身が監督し、同じフランキー堺主演で映画化もされた。
『遠い日の戦争』の主人公は『私は貝になりたい』の主人公に比べると、より深く戦争に関わっている。四国の生まれ。九州帝国大学を出て入隊。昭和二十年、敗戦直前には、陸軍中尉。福岡で防空作戦室情報主任だった。
 そして、八月十五日の直後、捕虜になったB29の搭乗員をひそかに処刑した。軍刀で首を切った。残酷と言えば残酷である。ただ、この主人公、清原琢也の心のなかでは、日本の町に爆弾を落とし、非戦闘員である普通の庶民を多数殺した彼らのことが許せない。アメリカ兵もまた、戦争のなかの行動だからやむをえないのだが、広島・長崎の惨状を知るといよいよ許せない。
 琢也は思う。「自分は、一人の米兵を殺した。その背丈の高い金髪の若い男は、日本の都市に対する焼夷攻撃に参加し、おびただしい老幼婦女子を死に追いやった。その男を殺した自分の行為は、戦争が勝利で終れば勲章授与に価いする扱いを受けるかも知れぬが、逆に首に綱を巻きつけられる立場に身を置いている」。
 戦争という異常な極限状況のなかでは「殺人」はそもそも成り立たない。戦勝国にとっては「殺人」は許されるが、敗戦国には罪になる。昭和二十一年、琢也は自分が戦犯として進駐軍(実質はアメリカ)に追われていることを知る。
 現代ではつい忘れがちになるが、戦後、日本はアメリカを主力とする連合軍に占領されていた(オキュパイド・ジャパン)。日本が独立を回復するのは、昭和二十七年四月、サンフランシスコ講和条約が発効されてから。
『遠い日の戦争』はこの占領下の物語である。戦争は終わったのに、琢也は「敵」であるアメリカの追及から逃げなければならない。「自分に強引に死を科そうとする存在に気づいた琢也は、自分の戦争がまだ終っていないことを意識した」。

 戦犯にされた琢也は米軍から逃げることを決意する。自分を変え、世に隠れ住むもうひとつの戦いである。『遠い日の戦争』は権力からの逃亡記になっている。吉村昭は、琢也がどう逃げたかを克明に書いていて、それがこの小説の読みどころになっている。
 四国から、大阪、神戸、そして姫路へ。元陸軍中尉が米軍に捕えられ犬死にしたくないために、命がけで逃げる。興味深いことに、この逃避行は、戦後の戦犯と、戦時中の徴兵忌避者という違いはあるものの、兵隊に取られたくないために身をやつして日本各地を逃げ続ける男を描いた丸谷才一の『笹まくら』とよく似ている。どちらも、絶大な権力からの一個人の必死の逃亡を主題にしている。
 丸谷才一は大正十四年(一九二五)生まれ。兵隊経験がある。吉村昭は昭和二年(一九二七)生まれ。昭和二十年、十八歳の時に徴兵直前まで行ったところで戦争が終わった。ともに、国家権力の強さ、怖さをよく知っている。吉村昭は占領軍という新しい権力も意識するようになった。
『遠い日の戦争』が興味深いのは、琢也が逃亡の際に出会うさまざまな日本人の反応だろう。はじめに頼った元陸軍大佐の伯父は、人が変わったように琢也を迷惑がる。保身のために、逃げる甥を助けようとしない。また、かつての部下も大学の下級生も、はじめは助けようとするが、次第に迷惑がってゆく(これは仕方がないことではあるが)。
 最後に、思いがけず、姫路でマッチ箱を製造する工場主が琢也の力になる。思想やイデオロギーの問題とは違う。苦境にいる人間に力を貸したいという素朴な人間性、平たく言えば「男気」である。戦後の荒廃した時代にも、こういう日本人がいたというところに、吉村昭は戦後のかすかな希望を見出している。
 戦犯という犠牲者、敗者に温かい気持で接する。当時、戦犯は厄介者にされた。保身を考える多くの人間は戦犯と関わるまいとした。そんななか、姫路の工場主は、追われる琢也を当然のように守ろうとした。
 そこに吉村昭は良き日本人を見ようとしている。戦犯という多くの人が触れたくない存在をあえて主人公に据えた吉村昭は、この工場主と重なり合う。琢也から、自分は戦犯であると打明けられた工場主は言う。「よく打ち明けてくれた。おれにまかせろ。絶対に口外はしない」。この男気あふれる言葉には、素直に胸が熱くなる。

 戦争を勝者からではなく敗者からとらえる。吉村昭のこの視点は一貫している。敗れた者もまた、よく戦った者である。作家は彼らにこそ寄り添わなければならない。
『プリズンの満月』(平成七年、新潮社)もまた、敗者への想いがあふれている。戦犯を収容した巣鴨プリズン(現在、池袋のサンシャインシティのあるところ)で働いた刑務官の目を通して、収容された戦犯たちを描いてゆく。
 終戦後、手の平を返したような軍国主義批判が高まり、戦犯への目も厳しかった。戦犯は悪者にされた。家族も世間の冷たい目にさらされ、生活は困窮した。戦時中、捕虜となった日本兵の家族が世間から指弾されたのと変わらない。冷たい世間というものがある。そう言えば、吉村昭は回想記『東京の戦争』(平成十三年、筑摩書房)のなかで書いている。
「戦時中には軍と警察が恐しかったと言われているが、私の実感としては隣り近所の人の眼の方が恐しかった」
 吉村昭は、権力の恐しさと同時に、普通の小市民が戦時に、他人の私生活に干渉し、何かと言うと「非国民」と難じたことも体験的に知っている。平凡な庶民が、戦時には小権力になる。「ありふれたファシズム」の怖さである。戦時中は、戦争に協力しない人間を「非国民」と指弾した人間が、戦争が終ると、今度は戦犯に冷ややかな目を向ける。吉村昭は、戦中、戦後を生きるなかで、日本人とは何か、良き日本人はどこにいるかを考え続けている。
『プリズンの満月』で感動的なくだりは、農場に働きに出されてゆく戦犯たちを見て、励ますために手を振る沿道の女性たち、あるいは、戦犯釈放の活動を続けた歌手の渡辺はま子を描いたところだろう。
 彼女たちは決して軍国主義者でもないし、戦争の讃美者でもない。ただ、戦争の犠牲となっている敗者を慰めたい、励ましたいと思ったに過ぎない。そのことが、どんなに大事なことだったか。彼女たちも、『遠い日の戦争』の、逃避行を続ける戦犯の琢也を助けようとする工場主と同じ、良き日本人ではないか。時代の流れに流されることなく、人としてのモラルを忘れない。苦しんでいる人間には寄り添う。
『プリズンの満月』の語り手である、刑務官の鶴岡もまたそうした良き日本人であることは言うまでもない。内地勤務の兵として復員し、熊本で刑務官になった鶴岡は、そのあと、GHQの命令で、巣鴨プリズンで働くことになる。日本人である自分が、同じ日本人である戦犯を、アメリカの支配下、銃を持って見張ることの苦しさ。この良心の苛責を持ち続けるところに、鶴岡という刑務官の誠実がある。

 戦犯についての小説を書く。吉村昭にとって勇気のいることだったろう。下手をすれば戦前の軍国主義を容認していると思われてしまう。軍国主義讃美に思われかねない。しかし、そうではない。吉村昭は、戦争の残酷さ、非情さは百も承知している。にもかかわらず、その戦争の時代を生きた日本人のことは忘れたくない。
 昭和二年生まれの吉村昭は、あの時代、愛国少年、軍国少年だった筈だ。そのことを恥じていない。国難というべき戦争に一少年として懸命に対処した。だからこそ、特攻隊員を始めとして国に殉じて死んでいった者、戦争で傷ついた者に敬意を表する。敗者に寄り添う。それは、戦争讃美とはまったく違うことだ。むしろ、逆のことではないか。吉村昭は勇気を持って、その逆説を書き続けた。随筆「二つの精神的季節」は、吉村昭の心の葛藤がよく出ていて、なぜ『遠い日の戦争』と『プリズンの満月』を書いたか、執筆動機がよく理解出来る。
 戦争を根底から否定するには、よく戦い、敗れていった者たちの心を考えなければならない。

 (かわもと・さぶろう 評論家)

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