書評

2016年1月号掲載

心に刺さる言葉たち

――河野裕『汚れた赤を恋と呼ぶんだ』(新潮文庫nex)

美山加恋

対象書籍名:『汚れた赤を恋と呼ぶんだ』(新潮文庫nex)
対象著者:河野裕
対象書籍ISBN:978-4-10-180056-1

 小説を読んでいると、心に刺さる言葉に出会うことがある。たとえば、こんな一文だ。

 ケーキを買うお金を持っていない子供だけが本当のケーキの価値を知っている。

 文庫本の端を折って、忘れないように、またいつでも読み返せるように、大事にとっておきたくなる、言葉。河野裕さんの小説には、そんな魅力的な言葉が溢れている。
 本作は『いなくなれ、群青』『その白さえ嘘だとしても』に続く、階段島(かいだんとう)シリーズの第三作だ。物語は、階段島という、少し奇妙な島を舞台に展開される。階段島は七平方キロメートル程度の小さな島で、そこでは約二〇〇〇人の住人が暮らしている。この島には大きな特徴がある。それは、人々が島にやってきた経緯を覚えていないこと。アマゾンの配送サービスは届くのに、グーグルマップには表示されない場所であること。そして、みなが「捨てられた人」である、ということだ。島で暮らす高校生、七草(ななくさ)は数ヶ月前にここにやってきて以来、不穏ながらも平和でのどかな生活を気に入っていたが、かつての同級生・真辺由宇(まなべゆう)との再会をきっかけに、階段島の謎に迫っていく。
 捨てられた人? それはどういう意味だろう。現代において人が「捨てられる」なんてことが、あるのだろうか。はじめてこのシリーズに触れる読者は、独特の設定に驚くかもしれない。実は私も、そうだった。だが、ほんの数ページ、河野さんの文章に触れれば、そんな違和感は消えてなくなり、この世界にぐっと惹きこまれる。個性的なキャラクター。島の謎に迫るスリリングな展開。右を見ても左を見ても、わくわくするばかりだ。そんな魅力の尽きない階段島シリーズにおいて、私が何より惹かれるのは、河野さんの言葉である。
 冒頭の引用は、第二作『その白さえ嘘だとしても』からだが、もちろん本作にも、魅力的な文章や言い回しがたくさん登場する。特に私の心を抉(えぐ)ったのが、以下の文章だ。

 役割を忘れて話ができるのが友達だと思う。

 私事だが、ちょうどこの小説を読んでいるとき、私は「友達」の定義について、悩んでいた。友人に「加恋の友達のラインはどこからなの」と聞かれ、うーん、と考え込んでしまったのだ。でも、この文章を読んで、そうか、と思い、河野さんの言葉をそのまま友人に伝えた。そんな風にして、私は小説に、小説の言葉に、助けられている。中でも階段島シリーズは、刺さる言葉が本当に多く、あれもこれも、メモしてしまう。
 人は何を捨てて、階段島にやってきたのか。その謎の解明については第一作『いなくなれ、群青』を読んでもらわねばならない。この島を統(す)べる人物は誰なのか。こちらの謎は、第二作『その白さえ嘘だとしても』で明らかになる。
 そして、第三作となる本作では、階段島から舞台を移し、私たちの「現実」に近い場所で物語が進んでいく。本作をもっとも特徴づけるのは、新キャラクターの少女、安達(あだち)だ。彼女は、怖い。何を考えているのか、まったくわからない。本人は「気安い友達、の二文字目と五文字目で、安達」などと自己紹介しているが、ちっとも気安い感じがしない。このシリーズにおいて、私が初めて「怖い」と感じた人間だ。ミステリアスで、常に主人公の裏をかく少女は、階段島に波乱を運んでくる気がしてならない。
 安達の真意はどこにあるのか。七草と真辺はどうなるのか。今後、階段島で何が起こるのか。作品を重ねるごとに謎は増え、シリーズの魅力も増していく。一度読み出したら、まず止まらない。未読の方には『いなくなれ、群青』を、一作目を読んだ方には二作目を、そして二作を読んでいるのなら、絶対にこの三作目『汚れた赤を恋と呼ぶんだ』を薦めたい。私のように言葉に惹かれるもよし、階段島の設定にやられるもよし、七草と真辺の未来にヤキモキするもよし。とにかく、心から、読んでほしい、と思う。ハマりますよ?

 (みやま・かれん 女優)

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