書評

2016年1月号掲載

ピュリッツァー賞記者が着地した「正義」

――エリック・リヒトブラウ著/徳川家広訳
『ナチスの楽園 アメリカではなぜ元SS将校が大手を振って歩いているのか』

徳川家広

対象書籍名:『ナチスの楽園 アメリカではなぜ元SS将校が大手を振って歩いているのか』
対象著者:エリック・リヒトブラウ著/徳川家広訳
対象書籍ISBN:978-4-10-506971-1

 日課となっているアマゾンの洋書探索で、本書の原書 The Nazis Next Door を見つけた時には、期待に胸が高鳴ったものである。膨大な数がいたSSやナチス党員たち、ナチス・ドイツ占領国におけるナチス協力者たちが戦後どうなったかについては、かねてから興味のあるトピックだったが、「隣りのナチス」という、何とも素っ気ないタイトルは、逆説的にこの問題の広がりと根の深さを暗示していたのだ。
 はたして、読みはじめてすぐに、衝撃的な事実が暴露される。第二次大戦の終盤、連合軍が解放したヨーロッパ大陸では、強制収容所のユダヤ人たちは虐殺されることこそなくなったものの、従来と変わらない惨めな虜囚生活を続けることを、当分の間強いられた!
 いっぽう、連合軍の捕虜になった元ナチスの多くは快適な暮らしを送ることを許された!
 そしてアメリカ軍は、元ナチスの科学者たちを続々と雇い入れていった(特に熱心だったのが、ヨーロッパ戦線の英雄パットン将軍だった)。ナチス・ドイツの技術力でもって、ソ連を打倒しようという腹である。この「紙クリップ作戦」自体は比較的よく知られているし、V2ロケットの生みの親で、アメリカのアポロ計画にも加わったヴェルナー・フォン・ブラウンがその一員だったことも、周知であろう。だがその「英雄」フォン・ブラウンにしてからが、ナチス・ドイツ時代には奴隷労働でロケットを建造していた!
 さらに、強制収容所の囚人たちを使った人体実験のデータも、元ナチスの医者たちによってアメリカ軍の宇宙計画に移植されていった!
 つまり、戦後アメリカの栄光の瞬間ともいうべきアポロの月面着陸は、その実ホロコーストの副産物でもあったのだ。
 だが、アメリカにおける元ナチスの最大の支援者は、何といってもCIAだった。独自の諜報機関を持たないアメリカとしては、ナチスの対ソ連スパイ網が欲しかったのだ。本書の白眉となるのが、この元ナチス・スパイたちの列伝で、著者がCIA文書や裁判記録をもとに巧妙に再構成している。事実は小説よりも奇なり。今や文豪とも言うべき存在となったS・キングの佳品『ゴールデンボーイ』など、アメリカに戦後のうのうと暮らしていた元ナチスたちの実態に比べると、全然甘っちょろい話だということがよくわかる。
 じっさい、CIAやFBI(そう、FBIも元ナチスを情報屋として雇い、保護していたのだ)の元ナチスに対する面倒見の良さを知れば知るほど、アメリカ国家の本質というか主流は、私たちの考えるリベラルなものではなく、むしろナチス・ドイツに対する親和性のほうが高いのではないかと思われる。戦後四〇年が経ったレーガン政権時代になっても、親ナチ派が政権の要職に就いていたりするのだ。暗澹とした気持ちにさせられるではないか。
 だが、アメリカはやはり偉大な国だ。多数の元ナチスを吸収するその一方で、それを許すまいとする勢力もちゃんと出現して、元ナチスたちを追いつめていくのである。最初は民間人の孤立した、時にユーモラスな努力だったのが、ついには司法省に、元ナチス追及を任務とする特別捜査室が設けられるのだ。そして本書の後半は、元ナチスたちと特捜室の検事たちの間の知恵比べ、追いかけっことなる。
 高齢者となった元ナチスたちを壮年、時には青年の検事たちが徹底して追及する様は、過去の悪行を水に流すことを美徳とする日本人には受け入れ難いかもしれない。その点は著者も指摘している。また、元ナチスの大物を裁くことに熱心なあまり、とんでもない失敗も出て来る。これは正義に名を借りた復讐でしかないのでは、いや魔女狩りなのでは、と不安になってくるほどに。
 だが、さすがに著者はピュリッツァー賞を受賞した練達の記者である。実に上手に「着地」しているのだ。読了後、「これこそが正義なのだ」と納得すると同時に、ホロコーストの犠牲者のあまりに残酷な運命に、あらためて涙も出た。読み終えて本を閉じるのと同時に「この本を訳さなくては」と強く思った所以である。

 (とくがわ・いえひろ 翻訳家)

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