書評
2016年2月号掲載
造形の歴史を読み替える
――松木武彦『美の考古学 古代人は何に魅せられてきたか』(新潮選書)
対象書籍名:『美の考古学 古代人は何に魅せられてきたか』(新潮選書)
対象著者:松木武彦
対象書籍ISBN:978-4-10-603780-1
筆者が非常勤講師として担当している、大学での日本美術通史の授業では、旧石器時代から縄文時代までに、毎年かなりの時間を費やしている。以後の長い造形芸術の歴史を辿るにあたって、「art」という語を起源に持つ「artifact」、人間の手から生まれた実用のための「人工物」と、見て・感じるために作られた造形芸術=「art」との間にどのような違いがあるのか(あるいはないのか)、どんなプロセスを経て人類社会の中から造形芸術が生み出され、また変化していくのか、学生たちに考えてほしいからだ。
授業のために参照した資料の中で、松木武彦が認知考古学の立場から執筆した小学館『全集 日本の歴史1 旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記』の解説は、驚くほど明瞭に腑に落ちた。今回新たに書き下ろされた『美の考古学 古代人は何に魅せられてきたか』でも、その基本的な立ち位置は変わらない。だが「日本の歴史」から「人間とその美の歴史」に焦点を絞り、さらに8年を経て更新された知見を基盤として、本書はよりくっきりと鮮やかに、美にかかわる根源的な問いと、それに対する答えを示すことに成功している。
美とは何かという大命題について、松木は「ある種の知覚的特性に心をひかれる、あるいは刺激されるといったことは、もっとも広い意味での『美』の感覚といえる」と定義する。そして現生人類=ホモ・サピエンスが、進化の過程で生物学的に獲得するに至った身体の特性や機能と同様(「心」も脳という「臓器」から生まれる現象であるなら)、普遍的に共有する美の感覚もあるはずだとする。
このもっとも根源的な美の感覚の始まりに位置するのが、約60万年前のホモ・ハイデルベルゲンシスが作るようになった「石斧」だ。彼らは石斧という実用の道具に、物理的な機能としては無用の、極めて精緻な左右対称の形を与えた。その「見る者を引きつける心理的機能」のための造形的な工夫こそ、ヒトの祖先たちが最初に見出した美の要素だ。現在、霊長類でも対称の形に注意する特性を持つことが知られているが、およそ生物にとって対称の形は、健全で安定していることの生物学的な表示、価値であり、異性を獲得し、同性との関係を有利に運ぶための条件といえる。それゆえ地上のあらゆる場所で石器に与えられた、過剰なまでの対称性に、松木は「art」の萌芽を見るのだ。
次に人類は、石や動物の骨・牙などよりずっと簡単に、そして心ゆくまで自由に形を追求できる素材としての粘土と、それに熱を加えて形を固定する術を見出した。こうして、特に日本列島において、社会の枠組を反映するメディアとしての役目をもっとも早く、そして一手に引き受けた「土器」が作られるようになる。その草創期、青森で出土した約1万6500年前の土器は、煮炊きに使われた痕跡が残る実用の道具で、文様などの装飾もなく、極めて単純な形状をしていた。ところが地球規模での温暖期に入り、世界各地で生活形態が遊動から定住へ変わり始めるのと軌を一にして、現代の私たちの目には「不合理」に映る、不均等、不均衡、非対称、破調など「縄文の理」に律された複雑な造形が、土器の上に表れる。代表的な例が、縄文時代中期に日本海側で作られた「火焔土器」だ。やがて縄文時代後期~弥生時代中期に至ると土器は再び変化を始め、用途ごとに形状を作り分け、機能に沿って定まった形の上にはみ出すことなく文様を貼り付けた端正なものへ、いわば「洗練」されていった。これを松木は、大陸からの水田稲作が伝播し、自然をコントロールする技術としての農耕を基盤とする社会が確立していくにつれ、「合理性」や「機能」により重い価値が置かれるようになり、土器の造形や文様にもその価値観が反映されていったからだと読み解いた。
石器にはじまって土器、さらに古墳の出現や金属器の登場へと続いていく一連の論考が提示するのは、かつて網野善彦の紹介で広く知られるようになった「逆さ地図」にも似た、造形の歴史をドラスティックに読み替える新しい視点だ。そこには、従来の美術史という狭い窓からでは絶対に見ることができない、「まるで身体と心のように相補的・双方向的に機能し合い、人類の歴史を前に動かしてきた」社会と美とが織りなす、この上なくダイナミックな眺望が開かれている。
(はしもと・まり ライター、エディター)