書評
2016年2月号掲載
本の重みは何にも勝る
――新潮社編『私の本棚』(新潮文庫)
対象書籍名:『私の本棚』(新潮文庫)
対象著者:新潮社編
対象書籍ISBN:978-4-10-127471-3
都市伝説では聞いたことがある。けれど、どうやら本当に、本の重みで家の床は抜けるらしい。『私の本棚』に寄せられた井上ひさしのエッセイ「本の力」では、文字通り建売住宅の床が抜け、「本の峰々が床の抜け落ちたところへゾロゾロと滑り落ち」る様子が描かれていた。これもいわゆるひとつの「本の力」なのか。
英国のバンド Radiohead のトム・ヨークは「gravity always wins」と唄ったようだが重力に働きかける本の重さは、床板と人間の心にどっしりと何かの重みをのこす。近頃は、本が並んでいる風景を見るだけで、「なんだかお洒落!」などとのたまう人もいるけれど、この1冊を読めば、本棚も人生もそんなにイージーなものではないことが伝わるかもしれない。
『私の本棚』は、23人の書き手が自身の本棚やその来歴について語ったエッセイ集だ。小説家や絵本作家、イラストレーターやグラフィックデザイナー、登山家、生物学者などなど、登場する人の仕事も十人十色。よって、(当然のことながら)そこで描かれる本棚も実に多種多様だ。それらは鏡のように、彼らの日々の歩みを表す。
メジャーを片手に、自身の蔵書を一列に並べたらどれ程の長さになるのかを測ってみた小野不由美。実際、その計測を元に3D‐CGソフトまで動員して作った新しい書架は、どんなものになったのか? 僕もいつか新居に本棚を新設する機会が訪れたら、彼女の経験値を少し拝借してみようと夢想してしまう。
自身の本棚を「緑のイメージ」と呼ぶ赤川次郎。当時、河出書房新社から出ていたグリーン版と呼ばれる『世界文学全集』がずらっと並ぶ書棚だったのがその理由だ。その1冊、1冊を「文学の原点」と語った彼だが、確かにあの萌葱色とも呼べる緑の背の連なりはじつに美しい。たまたま僕自身の本棚にも同じシリーズがあったので、手に取りパラパラめくってみたのだが、なんと装丁が原弘(元祖・日本グラフィックデザインの神様。と個人的には思っています)の手によるものではないか。新発見も嬉しかったし、赤川のエッセイ「エバーグリーンの思い出」というタイトルにも、大いに納得した次第だ。
こんな風に書けばわかってもらえると思うが、このエッセイ集の骨子は、蔵書自慢などでは決してない。覗き見の愉しみともちょっと違う。では、何かというと読者自身の本棚を見つめ直すきっかけだと僕には思えた。会ったことのない人の、見たことのない本棚の話なのに、彼らの本棚と読み手の本棚が交錯する。「やあ、やあ、僕もその本、持ってますよ」とか「なるほど、その手があったか!」といった類の交わり。棚に本を連ね、その本たちを愛したり憎んだりする悦びを知る者のみが密かに酌み交わす秘蔵酒の味わいとでもいうのですかね。
その愛憎劇の中でも、増え続ける本に対する「あがき」は、特に本好きの共感を得るに違いない。献本でやってきた『琵琶法師』をいつか読む明日を夢見、今日もそれを枕元に陳列したまま日々の生活に追われている西川美和。広辞苑が唯一の蔵書だった稲垣足穂のことを書きながら、たくさん本を持つことではなく読んで駆動する自分自身の方が大切なのではないかと問いかける都築響一。年間8万タイトルもの本(1日にならすと220タイトル位になります)が出版されているこの国で、増え続ける本と格闘することは、自身と本の距離感を考え続けることでもある。
仕事と趣味で増殖する本や、それを置く場所の家賃やローンが無限なのに対し、それを工面する仕事(頭脳、体力、時間)が有限なのだと語るのは「愛書家」ではなく「愛憎書家」の鹿島茂。そして、いつだって無限と有限が戦えば、「有限が負けるに決まっている」と彼は自身のエッセイで断言している。つまり、それは本狂いが正直に洩らした諦念だ。しかし、本棚を愛する者は、そこからの「粘り」がすごいのだ。「あがき」が愉快なのだ。
実際、鹿島がどんな解決法を見つけたかは実際に本書を読んでいただくとして、皆さんも本棚下の床の具合を確かめつつ、自身の本棚の前でぼーっと佇んでみてはいかがですか?
(はば・よしたか ブック・ディレクター)