書評
2016年2月号掲載
追悼・野坂昭如さん
狐につままれた名作
旧ろう十二月十日朝、病院から野坂昭如の遺体が戻るや一番にかけつけた。秋に誤嚥性肺炎で危篤になり、医師が驚異的な生命力の持主ですねと、その回復に驚嘆した。暘子夫人に話を聞いていたので、覚悟はできていた。
九日の午後まで『新潮45』に連載中の「だまし庵日記」の口述をしていた。「12月8日と聞けば、ぼくなどはすぐさま昭和16年に結びつく。(中略)テロリストは、空爆で根絶など出来ない。負の連鎖を止めなきゃ終りはない」が12月8日の項。亡くなる数時間前の最終行「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」が、第一〇六回、最終回の遺稿であり、遺言といえる。
「こんな素直な少年のようでいて威厳のある顔見たことない」と暘子夫人と異口同音し、見ほれた。鼻ひげをたくわえ、生前は脳梗塞の後遺症でゆがんでいた口も一文字に結ばれて、見事なダンディ・ノサカぶりだった。
出会ってから56年がたっていた。TV草創期の群雄割拠時代、芸能マネージャー、コント作家、番組構成者、CMソング作詞家。筆名阿木由起夫、阿木チャンとして業界で活躍しながらも、永六輔にすべて先を越され、挫折と屈辱と敗北まみれ。活字の世界へ必死の思いで這い上ろうとしていた。中央公論で『週刊コウロン』の新米記者だった私のかけた声に、得たりやおうと落武者がはせ参じたのが、初見参だった。
'59年10月。京橋、中央公論社ビルの七階はプルニエで、社の打ち合わせ場所になっていた。野坂昭如は、中公というのでまず象牙の塔を想像した。なら、お目見得で鬼面人を驚かしてやろうと、ジーパンにゴム草履、胸や肩にヒラヒラのいっぱいついた"デービークロケット風革シャツ、黒メガネでいそいそと乗りこんできた。
「フーテンを連れてきた」と社内で評判になり、『週刊コウロン』に見開き二頁のコラム"ひっと・えんどらん―××野郎"なる世態風俗をソネミヤッカミヒガミの三位一体で観察する場を獲得した。一人では手にあまるというので、漫才の相手役だった野末陳平を連れてきた。
その年の秋に週刊誌は休刊。私は『中央公論』『婦人公論』『小説中央公論』と転部するたびに、ノサカをおんぶしていった。転部先の『小説中央公論』もあと二回で休刊というところに追い込まれた。チャンス到来だ。起死回生の一打、"パンチのあるもの""話題になるもの"を書いてもらえるならやってみろと許可が出た。無名の新人の登板だ。
「面白いもの、あっといわせられるやつ」
最初に見せてもらった習作は、とくに印象が残らない凡打。編集長が降板させそうな顔をしたので、両者の顔をうかがいながら「野坂さん、ほら、ブルーフィルムの運び屋のおっさんのこと書いたらどう」と目くばせ。
その後のことを野坂は2002年に出版した『文壇』にしつこく書いている。
〈具体的にはなったが、小説を書くとなると雲つかむ感じのまま、水口は、大阪で書くというぼくについて、勝手に想像をたくましくし「そりゃいいなぁ、理想的環境じゃない。野坂さんの故郷だし。それで、ぼく題名を考えたんだけどね、これバッチリだと思う。『エロ事師たち』。いいでしょ」「エロゴトシ?」「ふつう色事師だけどさ、少しひねって」文学作品を書くつもり毛頭ない、とにかくおもしろい、小説とまでいわないお話のつもりだったが、「エロ事師」とは。ありがたい橋渡しをしてくれたのだ。曖昧に受け流し、七月十八日、大阪へ向った。「エロ事師」とはまた何と下品な題名、憤慨しつつ、何も浮かばない。九月三日、編集長岩淵と水口に六本木「アマンド」に呼び出され、掛け値なし、ギリギリ、五日までに三十枚もらわないとオチる。「頼みますよ、野坂さんエロ事師でいくらでも出てくるでしょう」水口が気遣わしげに口をはさみ......〉
『小説中央公論』'63年11、12月号に異色小説の売りで、2回百二十枚載り、休刊。発表後、何の反響も音沙汰もなく、二人顔を合わせては、ソウカモネの感じ。ところが、年末「これは世にもすさまじい小説で......醜悪無慚(むざん)な無頼の小説であり、それでいて塵芥(じんかい)捨場の真昼の空のように明るく、お偉ら方が鼻をつまんで避けてとおるような小説なのだ」(『新潮』三島由紀夫)、「文学作品として後世に残る傑作である。......作者の人間を見る冷たい視線が、そのまま人間を慈しみぶかくすい上げていることも稀有(けう)であり、作者の眼がういういしさと大人の円熟を兼ね備えているのも稀有なことである。あえて最上級の賛辞を呈する」(『文芸』吉行淳之介)の大激賞の評が出た。それも風聞できいた。
野坂は狐につままれた面持ち。私は感想を言わなかった。'03年5月26日脳梗塞で倒れる前、各社の旧担当者が集まって食事をしたとき、「水口の感想、まだ聞いてないぞ」と怖るべき記憶力を示した。今や担当者として言わぬままになった。
(みずぐち・よしろう 元編集者、文芸評論家)