書評

2016年3月号掲載

警察小説の新たなる里程標

――古野まほろ『新任巡査』

村上貴史

対象書籍名:『新任巡査』
対象著者:古野まほろ
対象書籍ISBN:978-4-10-100471-6/978-4-10-100472-3

 とんでもないものを読んだ、という第一印象だ。
 どのくらいとんでもないかというと、『新任巡査』刊行前後で、警察小説のリアリティの基準が変わるといいたくなるほどなのだ。
 そんな小説の主人公となるのは愛予警察の二人の新人警察官である。上原頼音(らいと)という巡査がまず一人目。ときおりバカヤロウと怒鳴られつつも、ひたすら真面目に物事に取り組む青年だ。そしてもう一人の主人公は、内田希(あきら)という女性巡査。美人だが、空気は一切読まない。自らをコンピュータになぞらえ、"実務上の機微は、まだ私にインストールされていない"と自己分析したりする。とにかく切れ者だ。
 本書はそんな二人が警察学校を出て地域の交番に配置され、そして新任巡査として様々な経験を積んでいく様を描いた長編小説なのだが、そのリアリティは生半可ではない。
 たとえば――本書では、警察学校での模様をまず第1章までで示した後に、新人として地域の交番に配属された頼音と希の様子が描かれる。その描写は、まず、頼音が独身寮で五時半に起床する場面から始まる。それが第3章の冒頭の八十五頁でのこと。その後、頼音は愛予警察署で希と一旦合流後、さらにそれぞれの職場となる交番に移動する。そして頼音が一日の勤務を終えたのは(本来は二十四時間の勤務なのだがあれこれあって翌日午後三時だった)、第15章の終わり、なんと四百五十頁だ。深夜には希中心の描写(12〜13章)が挟まれていたりはするが、その間に頼音が何をしていたかといえば、新人として掃除をしたり、交番で先輩に挨拶をしたり、交番の前で立番をしたり、だ。あるいは係長とともに自転車で巡回連絡に出かけたり、床屋やコンビニで話を聞いたり、マンションを戸別訪問したりだ。もちろん警察官だから事件とは遭遇するが、いわゆる推理小説に登場するような大きな事件を手掛けていたわけではない。それなのに、三百八十頁あまりが費やされているのである。異形なのだ。
 量としては異形だが、内容はとことん堅実である。新人に対する先輩や上長からの教育が、現場での実際の出来事を教材として徹底的に克明に描かれており、その一つ一つ(例えば拾った五十円を届けに来た子供とのやりとり)に物語があり、学びがある。決まり事の背景を知る発見もある。それ故にまったく退屈とは無縁であり、むしろ他に類のない刺激に満ちているのだ。しかも密度もとことん濃い。頼音の学びは、いうなれば現場を体験しながら教科書を復習するようなものなのだが、それがこんなにも愉しい娯楽小説として完成しているなんて、もはや驚き以外の何物でもない。
 だが――さらなる驚きがその後に待ち受けている。それまでの章での会話や行動のなかに存在していたいくつもの伏線に導かれるようにして、後半で大きな事件が浮かび上がってくるのだ。頼音も希もそれに巻き込まれ、それぞれの役割を命懸けで果たすことになる。衝撃的な出来事と緻密な推理、あるいは"敵"の冷酷で巧緻な策略。そうしたものがスリリングに交錯しながら、物語はスピードを増して流れていくのである。いやはや、こんな展開のミステリに化けるとは予想だにしなかった。驚嘆したうえで大満足である。
 古野まほろといえば、二〇〇七年に『天帝のはしたなき果実』でメフィスト賞を受賞してデビューした作家であり、謎解きミステリの巨篇の書き手としてのイメージをお持ちの方もいらっしゃるかも知れないが、東大法学部を卒業後リヨン第三大学法学部の修士課程を修了し、そして警察庁Ⅰ種警察官(いわゆるキャリア組だ)となった人物でもある。交番勤務経験もあれば、本部や海外での経験もあり、さらには、警察大学校主任教授まで務めているのだ。そんな経歴の持ち主が、"この小説では、どうしても嘘を吐かなければならない箇所以外、徹底した、細かい、リアルな描写を重ねています"と述べて書き上げた警察小説なのだ。このジャンルの新たなる里程標となるのも必然といえよう。
 なお、青春小説としても魅力的だったりするから、まったくもって侮れない。

 (むらかみ・たかし 書評家)

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