書評

2016年3月号掲載

忘れないでほしい――五年後の願い

――笠井信輔『増補版 僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た』(新潮文庫)

笠井信輔

対象書籍名:『増補版 僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た』(新潮文庫)
対象著者:笠井信輔
対象書籍ISBN:978-4-10-120291-4

 あの日から私の、いや、日本人の生活は、一変してしまいました。
 津波の映像を携帯電話の小さな液晶画面で見た瞬間、気持が突き動かされ、現場へ向かったあの日から、もう五年が経ちます。
 被災地の現場で、私が最初の一週間に直面した数々の問題。それはすべて、「人を救うという事はどういうことなのか?」そして「自分は何のためにここへ来たのか?」ということに尽きます。

 取材中、津波に飲まれた女性から、「おばあさんを蹴って沈めました」という告白を受けました。建物の中に避難していたところ、突然襲ってきた大津波。その女性は自分の周りにいた近所の子供たちを両腕に抱えますが、黒い水はみるみるうちに二階の高さになりました。子供二人を抱えながら、どうにか海水に浮いていると、そこにおぼれかけたお年寄りがすがってくる......。
「おばあさんが足につかまってくるんです」
 話しながら、彼女は泣きだしました。
「子供を両手に抱えているし、このままだと、みんな死んじゃうって思って......。だから蹴って沈めました。おばあさんを蹴って、沈めたんです......」
 それは告白というより懺悔と言うべきものでした。私は必死に慰めの言葉をさがし、「救った子供たちのことを考えましょうよ」と励ますのが精いっぱいでした。すると今度は、「子供たちの恐怖に震えた顔が忘れられないんです。子供たちは、あの地獄を見ていたんです......」と再び落涙しました。カメラは回っていましたが、放送しませんでした。
 子供たちは一体どんな光景を見たのでしょうか。
 その恐怖を忘れることはできないのでしょうか。
 それとも、この未曾有の災害を後世に伝えるために忘れない方がいいのでしょうか。

 また避難所では、ある女性が「水がないの」と訴えていらっしゃいました。「大変ですね」と返しながら私は、近くの取材車の中に積んである水のことを考えていました。
 そのまま取りに行って配ればいいじゃないか!
 しかし、それがなかなかできません。
 ボランティア活動をしていたほうがずっと、役に立つのではないか? そう考えたスタッフもいました。
 避難所へ行くなら、必要物資を運んで行ったほうがいいのではないか? 取材車を使って行方不明者さがしを手伝ったほうがいいのではないか? そして結局、同じ問いに戻ります――それならば、自分たちがここにいる意味はいったい何なのか。

『僕はしゃべるためにここへ来た』は、フジテレビの朝の情報番組「とくダネ!」取材班の一人として被災地入りした私の、生の言葉を綴った一冊です。生の言葉というなら、テレビで沢山しゃべってきたかもしれません。しかしそれ以上に、言葉にならなかった言葉、今だから話せるようになった言葉が詰まっています。
 今回の文庫化にあたり、まるまる一章を加筆しました。この五年間つづけてきた被災地取材のなかで、伝えたい言葉はますます増えていました。
 あれから五年。確かに東北のみなさんの表情はあかるくなりました。しかし、それでもう大丈夫だなんて思ってしまっていないでしょうか。心のどこかで、そろそろ東北は復興のレールにのったかな、なんて考えていないでしょうか。
 津波で壊れたままの家に、そのまま住み続けている方がまだまだいます。現地に行きお話を伺うと、乗り越えがたい困難とじっと向き合い、暮らしていらっしゃることがわかります。
 そしてみなさん、薄々感じているのです。東北が大津波に襲われたことを、遠く離れて暮らす全国のひとたちが、いずれは忘れていくのだろうと。
 どうか、忘れないでほしい――そんな被災地の方々の思いが伝わりますように。本書が、東北のために少しでも役立つことを、心から願っています。

 (かさい・しんすけ フジテレビアナウンサー)

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