書評

2016年4月号掲載

空前絶後の初恋小説

――梶尾真治『杏奈は春待岬に』

成井豊

対象書籍名:『杏奈は春待岬に』
対象著者:梶尾真治
対象書籍ISBN:978-4-10-149012-0

『杏奈は春待岬に』の主人公は、十歳の少年・白瀬健志(しらせたけし)。
 四年生と五年生の間の春休み、健志は熊本県天草市の西にある村の、祖父母の家に行く。その村の「春待岬」と呼ばれる小さな岬に、古い洋館が建っていた。少年の冒険心から、その洋館へ行ってみると、そこには信じられないほど美しい女性がいた。それはまるで、妖精か天使のようだった。健志は何とかして、彼女と言葉をかわせるようになりたいと思った......。
 というふうに、梶尾真治さんの最新作『杏奈は春待岬に』は、十歳の少年の初恋物語として幕を開ける。普通の作家なら、物語は春休みの間だけで終わる。エピローグとして、十年後の再会のシーンがくっつくかもしれない。出会って、結ばれて、別れて、再会して。これがラブストーリーの定型というものだろう。
 が、天下の梶尾真治がそんな当たり前の小説を書くはずがない。少年はひたすら暴走する。と言っても、別にストーカー化するわけではない。無垢な愛情はけっして病的にならず、あくまでも無垢なまま、しかし、それ以外のすべてを犠牲にして、真っ直ぐに走り続ける。読者は「一体どこまで行くんだ?」と青ざめながら、しかしどうしても結末が知りたくて、ページを繰り続ける......。
 梶尾さんは一九四七年に熊本県熊本市で生まれ、一九七一年に「美亜へ贈る真珠」でデビュー。以来、四十五年にわたって、日本SF界で活躍してきたが、その作品は本格SFからファンタジー、伝奇小説、パニック小説と、きわめてバラエティ豊か。しかし、その中に、これこそまさに梶尾ワールドとでも言うべき系譜がある。それは、無垢なる者が暴走する物語だ。
 私は梶尾さんの大ファンで、十年ほど前から様々な作品を舞台化させてもらってきた。その第一作が連作短編集『クロノス・ジョウンターの伝説』の中の一話である、「吹原(すいはら)和彦の軌跡」(舞台化した時のタイトルは『クロノス』)。
 主人公の吹原和彦は、花屋の店員・蕗来美子(ふきくみこ)に思いを寄せるが、彼女は交通事故で亡くなってしまう。吹原は彼女を救うため、「クロノス・ジョウンター」というタイムマシンで過去へ行く。ただし、そのタイムマシンは欠陥品で、過去には数分しか滞在できず、元の時代にも戻れない。過去に行った反動で、遠い未来に弾き飛ばされてしまうのだ。吹原は何度も救出に失敗し、そのたびにタイムトラベルを重ねる。そして、今度過去へ行ったら、二千年後に弾き飛ばされるところまで追い詰められる......。
「吹原和彦の軌跡」を読んだ時の衝撃は、今でも覚えている。一言で言えば、「なんじゃこりゃあ?」。こんな小説、読んだことない。どこにでもいる普通の会社員が、片思いしている女性の命を救うために、ひたすらタイムトラベルを繰り返す。救出に成功しても、彼女と結ばれることはないとわかっているのに......。
 梶尾さんの小説に、ヒーローは登場しない。どこにでもいる普通の男が、ちょっとした偶然から恋をする。『クロノス・ジョウンターの伝説』の吹原和彦も、『杏奈は春待岬に』の白瀬健志もそうだ。が、彼らはきわめて自然に、その恋心を保ち続ける。欲望や打算や狂気には発展させない。出会った時のままの、無垢な心で彼女を思い続ける。だから、本人たちは自分のしていることが異常だとは思わない。読者も思わない。気づいた時には、主人公を応援している。頑張れ頑張れと。
 思えば、デビュー作の「美亜へ贈る真珠」も、この系譜の小説だった。『未来(あした)のおもいで』も『つばき、時跳び』もそうだった。もちろん設定もストーリーも作品ごとに全く違うが、無垢なる者の暴走を描く時、梶尾さんの作品は一段と光を増す。読みながら、胸打たれずにはいられない。そして、ああ、これこそが恋だと思う。
『杏奈は春待岬に』とはそんな小説だ。空前絶後の初恋小説。読まない手はありませんぜ。

 (なるい・ゆたか 演劇集団キャラメルボックス代表)

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