書評・エッセイ

2016年4月号掲載

サービスとは技術

――野地秩嘉『サービスの達人たち 究極のおもてなし』(新潮文庫)

野地秩嘉

対象書籍名:『サービスの達人たち 究極のおもてなし』(新潮文庫)
対象著者:野地秩嘉
対象書籍ISBN:978-4-10-136253-3

 高倉健のことを大根役者という人がいる。存在感はあるけれど演ずる技術はないと評する専門家もいる。
 しかし、そう思う人たちの評価は間違っている。
『冬の華』という主演映画で、高倉健はやくざを相手に立ち回りをやっている。殴り倒した後、相手の顔を靴の裏で踏みつける。やられた方は顔がゆがみ、苦悶の表情を浮かべる。
「昔はあんなことを実際にやってもよかったんですか? やられた方はケガをしたんじゃないですか?」
 演出した降旗康男監督に訊ねたことがある。
 監督は言った。
「野地ちゃん、あれギャッカイなんだよ」
 ギャッカイって、何ですか、それは?
「健さんはまず相手の顔をそーっと靴で踏みつける。次に、素早く足を上げる。逆回転なんだよ。フィルムを逆回ししてるんだ」
 フィルムの逆回しという技術はもはや使われなくなった。憤怒の表情をしながら、冷静に素早く足を引き抜くという演技ができる役者は(いまや)ひとりもいない。いや、当時でさえ「あんなことができたのは健さんだけ」(降旗康男)だったのである。
 高倉健は卓越した演技の技術を持っていたけれど、自ら口に出すことはしなかった。
「神接客の男」齋藤尚之のサービスに接すると、高倉健のこのエピソードを思い出す。
 齋藤尚之は今は夫婦で喫茶店をやっている。だが、数年前までは赤坂のイタリアンレストラン「グラナータ」の専務であり、総支配人だった。齋藤は自ら接客をしながら、部下のウェイター、ウェイトレスに細かなサービス技術を伝授した。
「お客さまが食事をしている間はウェイター同士は会話をしてはいけない」
 客は従業員がひそひそ話をしていると、自分のことだと思って不快になるからだ。
「店の壁に沿って立つ。しかし、じっと立っていてはいけない。絶えず、位置を変え、お客さまをウォッチする」
 客席から合図されたらいつでも動けるようにしておく。ぼーっと立っていると、初動が遅くなる。
「お客さまのオーダーをちゃんと聞く。たとえばミートソースとカルボナーラの注文を受けて、運んでいく時にミートソースはどちら様ですか? そう訊ねてはいけない。微笑みながら、お客さまがおっしゃった料理を出す」
 ふたつ以上のオーダーがあっても、すべて暗記する。それが接客だ。注文が多い場合はメモをする。
 齋藤が部下に注意した接客技術はマニュアルにしたら国語辞典ほどの厚さになるだろう。飲食店のサービスといっても、神の領域にたどり着くには専門の技術を習得する必要がある。加えて習得する時間と粘り強さもいるだろう。
 これまでわたしは多くのサービスマンを取材してきた。達人だなと感じた人たちは似ている。「サービスの真髄はお客さまを想う心」といった、とってつけたようなことは言わない。自分から技術についてはなかなか話そうとしない。そして、自分だけの接客技術、サービスの技術を持っていた。
 彼らはいずれもサービスとは技術だと思っている。豊富な言葉で客に尽くすのではなく、技術で奉仕しようとしている。
「神接客の男」齋藤はその代表だ。今回『サービスの達人たち 究極のおもてなし』に登場してもらうために、わたしは十数年、グラナータに通った。パスタを食べながら、彼のサービスの技術を観察して、インタビューでは「あの時のあの行動はどういった技術ですか?」と細かい点を質問した。
 齋藤は自ら話そうとしないが、指摘には答える。
 サービスの真髄はそうやらなければ文章にはできない。
 同書には他に美容部員、ビジネスホテルの支配人、ベンツのセールスマン、保育園の園長、もつ焼き屋の店長、温泉旅館の主人、デパ地下のカツサンド女王が登場する。いずれも現場を観察した。
 口下手でしかも技術を持っている人を相手にするにはそれしかない。技術を持った相手にはこちらもインタビュー技術の限りを尽くす。それしかない。

 (のじ・つねよし 作家)

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