書評
2016年5月号掲載
今そこにあるパンデミックの恐怖
――初瀬礼『シスト』
対象書籍名:『シスト』
対象著者:初瀬礼
対象書籍ISBN:978-4-10-340051-6
四年にいちどのスポーツの祭典、オリンピック。二〇一六年八月には南米ブラジルのリオデジャネイロで第三一回大会が催されるが、その心配ネタのひとつとして話題になっているのがジカ熱だ。
ジカ熱はウイルスによって引き起こされる熱病で、頭痛や筋肉痛をともなう症状はデング熱等とも似ているそうだが、症状は穏やかで、致死率も至って低い。とはいえ、五輪で戦う選手たちにとっては不安要素のひとつであるのは間違いない。ジカウイルスを媒介するのは主に蚊であり、各会場の周辺では徹底した衛生対策が図られることだろう。
感染症といえば、毎年冬になると警戒が叫ばれるのがインフルエンザ。二〇一五年から一六年にかけては一時的な流行にとどまり大事には至らなかったが、油断は出来ない。最近災害というと、まず思い浮かぶのは地震。それに伴って火山噴火もクローズアップされ、大地の鳴動のほうにばかり目が傾きがちだが、病原体による生物災害(バイオハザード)とて何をきっかけに始まるかわからないのである。
本書のテーマもずばり、それ。謎の伝染病が世界で爆発的な流行を始める恐怖を描いたパンデミック・サスペンスだ。
もっとも、出だしを読んだだけでは、そうとはわからないかも。冒頭の舞台はロシア・チェチェン共和国。そこではロシアと武装勢力の間で激しい内戦が続いていた。現地取材に挑んでいたフリーのビデオジャーナリスト・御堂万里菜も危険なプレスツアーに出て爆撃にあい、九死に一生を得る。
一週間後、帰国した万里菜は東京中央テレビ(TCT)のニュース番組のロケハンで女性アシスタントディレクターの小島と佐渡島を訪れる。ネタは嫁が姑を虐待しているというある家庭。現場では、嫁に軟禁された姑が排泄物を庭に捨てていた。五日後、現場で取材を試みた彼女もその惨状に思わず咳き込むほど。何とか嫁へのインタビューを済ませたものの、その帰途万里菜の身に異変が起きる。自分が今どこにいるのか突然わからなくなり、小島の名前まで失念していたのだ。不安を抱いた彼女は帰京後大学病院にいき、そこで若年性アルツハイマーであることを告げられるが――。
何の前知識もなければ、突然の余命宣告まで受けた現役バリバリの女性ジャーナリストが難病に立ち向かう闘病小説と思われるのではないだろうか。実際、万里菜はへこたれるどころか、自らの闘病を題材にした企画をTCTに売り込む。その男顔負けの負けじ魂も本書の読みどころのひとつといっていい。幸い、彼女の病状は進行が遅いようだったが、そんな折りも折り、タジキスタンで伝染病発生の報が。それは発生源である首都名を取ってドゥシャンベ・ウイルスと名づけられるが、伝染後一ヶ月で発症すると脳内出血を引き起こしわずか一日で死に至るという。万里菜とADの小島は急遽現地取材に飛ぶが、今度は小島の身に異変が......。
かくして物語は、中盤からはアメリカの疾病管理予防センター(CDC)も動き出すなど、万里菜の闘病と並行して急速にパンデミック・サスペンスの様相を強めていく。これまでのパンデミックものは、医療関係者の対応を軸に病に直面する人々のありさまを群像劇のスタイルで描いていくのが通例だ。出だしからしてひと味違う本書はしかし、ロシア人とのハーフである万里菜の出生譚も絡め、先の読めない展開で引っ張っていくのである。
やがて日本でも猛威を振るい始めるドゥシャンベ・ウイルスの恐怖と、その流行にまつわる謎。著者はこのジャンルならではの疫学的な興味においてもスリリングな演出を凝らしており、読む者をハラハラドキドキさせずにはおかない。いつ現実に起きてもおかしくない、キナ臭い国際事情を踏まえた多彩なアイデアと活劇演出の妙。
著者の初瀬礼は二〇一三年、映画の原作小説を発掘する第一回日本エンタメ小説大賞優秀賞を受賞した異色の国際サスペンス『血讐』(リンダブックス)でデビュー。長篇第二作に当たる本書でもテレビ局勤務という本職を活かし、独自の話作りでパンデミック・サスペンスに新風を吹き込んでみせた。国際エンタテインメント小説の新たな旗手として、今後の活躍に注目されたい。
(かやま・ふみろう コラムニスト)