書評

2016年6月号掲載

“ハダカ”な心を、優しく肯定する一冊

――森美樹『幸福なハダカ』

吉田伸子

対象書籍名:『幸福なハダカ』
対象著者:森美樹
対象書籍ISBN:978-4-10-121192-3

 本書は、第12回「R―18文学賞」読者賞を受賞した作品を収録した『主婦病』に続く、森美樹さんの新作である。前作では主に主人公は主婦(その娘や、主婦の娘時代のものもあるが)だったが、本書に出てくる女たちは、年代も育ちもばらばらな四人――二十代の鈴美(すずみ)、三十代の理都子(りつこ)と天音(あまね)、四十代の冬美恵(ふみえ)――である。彼女たちの真ん中にいるのは、理都子の夫で、朔也(さくや)という「成長ホルモン分泌不全性低身長症」の男だ。朔也の体型は6歳の男児のそれである。
 連作形式で描かれる物語は、最初、フリーライターの天音が、友人の紹介で朔也と会ったところから始まる。天音が朔也に興味を持ったのは、彼の病気故ではなく、朔也が素人の裸を撮影しているからだった。「俺、歩くファンタジーなんだよね」と朔也は言う。「だから、さらけ出せるんだと思う。全部」そんな朔也に会うたびに、天音は「自分が随分と凝り固まっているのではないかと感じる」。
 天音には結婚して5年になる同業者の夫・修司(しゅうじ)がいる。修司が手がけているのは社会派の記事で、自著もある。そんな修司に言わせると、天音が発信している「女性が喜びそうな細々とした情報」は、「ページをめくるそばから文字がこぼれ落ちそう」なものだ。この修司の言葉からもわかるように、二人の関係にはどこか危ういものがある。
 鈴美は鈴美の母でさえ、鈴美の父親が誰なのか見当がつかないという生育で、4歳の時弁護士の伯父の家に預けられた。「いい子」にしていたら迎えに来るという母の言葉を信じ、伯父からの性的虐待にもじっと耐えてきた。12歳から18歳までは再び母と母の再婚相手と暮らしたが、義父からも性的虐待を受けた鈴美は、なけなしの貯金をはたいて出奔した。高校を中退した後は「新宿の片隅に住み、様々な男のいい子になってきた」。
 高級マンションに見紛う有料老人ホームで介護職員として働く冬美恵は、女の体重が50キロを超えると、男に乗れなくなる、という入居者の老女の言葉に縛られ、55キロの自分に、男に抱かれたことのない自分にコンプレックスを感じている。
 教育評論家の父と医師の母という恵まれた家庭に生まれながら、両親は恵まれない子どもたちのために心を向けるばかりだったため、自分をみなしごのように感じて育った理都子。彼女が唯一心を交わしあえたのは、広大な自宅の敷地に住み着いたホームレスの老人だけだった。
 四人の女たちは、朔也と出会うことで、否応なく身につけてしまった心の鎧を、薄皮を剥ぐように少しずつ脱ぎ捨てていく。それは、朔也が、自らの病を治療し、普通の身長になるような選択をせず、6歳の時点で「このままでいい」という決断をした人間だからだ。四人の女たちは必死で"ハダカ"な状態を隠して生きてきた。けれど、朔也は、自ら望んで"ハダカ"を晒して生きてきたのだ。
 本書を読むと、自分もまた様々な鎧を身につけていることに気づく。それらは、生きていくために自然に身につけてしまったものもあれば、生きやすくするために身につけたものも、ある。いや、私だけではない。あなたも、そしてあなたも、鈴美であり、天音であり、理都子であり、冬美恵なのだ。その鎧は、長い間身につけているから、今や第二の肌のようでもある。けれど、鎧は鎧だ。時折ほころびたり、欠けたり、外れたりする。それをうまく繕って、修理して、そうやって私は、あなたは生きていく。
 でも、それでいいの? と本書は優しく問いかけてくる。ほころびから見えたあなたの"ハダカ"こそ、大事にしてあげなければいけないのかもよ、と。鎧が悪いことだとは言わないけれど、時にはその鎧の下の生身の"ハダカ"を解き放ち、いい香りのするクリームなんかも塗り込んで、優しくいたわってあげることも大事なことだと思うよ、と。
 常に"ハダカ"で生きている朔也は言う。「自分を全部、まるごと好きになることが、そのまま人を愛することなんじゃないかな」「俺、自分のこと好きだよ。人として一般的じゃないだろ。変に目立っちゃうしさ。でも俺は俺が好きだ。世界で俺は俺だけだし、俺教っていう宗教の信者くらい、俺は一番だと思う」。
 読み終えた時、四人の女のことも、朔也のことも、そして何よりも自分自身を抱きしめたくなる。静かで優しい余韻に満ちた一冊だ。

 (よしだ・のぶこ 書評家)

最新の書評

ページの先頭へ