書評

2016年6月号掲載

永遠という仏

――梓澤要『荒仏師 運慶』

島内景二

対象書籍名:『荒仏師 運慶』
対象著者:梓澤要
対象書籍ISBN:978-4-10-121182-4

 久しぶりに王道を歩む小説を読んだ。小説は激動の時代を描きつつ、そこから人間の不動の真実をつかみ取る。
 変革期とは、古い時代の宝箱も、この世に災いをもたらすパンドラの箱もぶちまけられ、新しい夢を見る者が、我先にと飛び出す時代のことである。天下の覇権を求める英雄たち。古いスタイルに飽きたらず、新しい文化を模索する芸術家たち。混乱を収束しようとする宗教者たち。......
「古代」が「中世」へと移行する変革期、文学で言えば『平家物語』と『方丈記』の時代にも、未曾有のカオスが姿を現した。梓澤要(あずさわかなめ)の新作『荒仏師 運慶』は、この時代に生き、東大寺南大門の仁王像(国宝)などを残した仏師に着目した。小説の可能性を突き詰める野心作である。
 梓澤は、小説というジャンルの可能性を信じる。だから、夏目漱石の時点まで回帰しようとした。漱石『夢十夜』の第六夜。運慶が自在に木の中から仁王を掘り出すのを見た「自分」は、同じように木の中から仁王を掘り出そうとしたが、失敗する。「明治の木にはとうてい仁王は埋(うま)っていない」というのが、漱石の結論だった。
 梓澤の戦略は、平成の「木」から運慶を掘り出すのではなく、平成の「人間の心」に「運慶」という人物像を刻み込むことにあった。すると、読者の心に、運慶が彫り続けた「仏」までもが刻印された。この「仏」とは、現代人にとって何なのか。運慶が見出した仏の真実は、梓澤要に小説というジャンルの再定義を可能にした。
 ここ数年の作者は、『光の王国 秀衡と西行』『捨ててこそ空也』などの意欲作を相次いで世に問うてきた。満を持しての「仏」への挑戦である。その姿はどことなく、戦後文学の代名詞だった三島由紀夫の戦いを連想させる。
「わたしは美しいものが好きだ」という印象的な一文で始まる『荒仏師 運慶』は、美とは何かという問いかけを執拗に繰り返す。なぜならば、仏とは美の別名であるからだ。梓澤は、明らかに『金閣寺』の美への執着を意識している。三島は美を破壊し、美を呑み込む巨大なブラックホールを作り出した。逆に梓澤は、現代文化に口を開いた巨大な闇から、何を引き出せるかを追い求める。運慶の指導のもとに、彼の二人の子が作った「無著(むじゃく)・世親(せしん)立像」(国宝、興福寺北円堂)について、父と子が語り合う場面も印象深い。
 子が「無著さまはどうしてこんなに哀しげなお顔なのですか」と問うと、父の運慶が「それは、無著さまが、この世のものは物であれ事象であれ、すべてはおのれの心がつくりだすいわば幻想で、実体はないと知ったからだ」と答える。
 これは、三島が「豊饒の海」シリーズでこだわった唯識(ゆいしき)思想(阿頼耶識(あらやしき))である。三島は認識の不毛に苦しみ、認識を超える「無=空」を作り出し、そこへと身を投じた。梓澤は、自分の分身である運慶の仏師としての歩みを通して、認識という幻想に不壊(ふえ)の「形」を与える方策を思索する。
 認識によっては永遠が手に入らないと、三島は考えた。梓澤は、永遠を「仏」と言い換える。仏は、美だけでなく永遠の別名でもあるのだ。この発見で「仏の心」が見えてくる。
 運慶が彫った「仏」たちは生きている。「高野山の名宝」展(サントリー美術館、二〇一四年)の会場で、運慶作の国宝「八大童子像」を私は観た。『荒仏師 運慶』でも、重要なエピソードとなっている童子像である。八体の仏像たちは、つぶらな目で私を見つめていた。今にも動き出し、何事かを私に語りかけたそうだった。仏は、現代人に何かを訴えたがっている。
 これまでの近代小説や戦後小説で展開された人生論・芸術論を踏まえつつ、梓澤は「仏」という普遍的テーマを現代化した。梓澤要は、この新作によって小説家としての自己実現を遂げたのではないか。漱石や三島が切り拓いた道を歩み直し、その先に、自らの足で新しい道を開削した。この道を、どこまで伸ばしてゆけるか。
 ランボーは、海と融け合う太陽の中に、永遠を見つけた。運慶は、木と融け合った仏に、永遠を見つけた。そして、梓澤要は、原稿用紙に溶け込んだ運慶の祈りに、永遠を見つけたのだと思う。だから、『荒仏師 運慶』という小説に込められた梓澤要の魂の中に、読者も永遠を見つけることができる。本物の小説と出会う喜びを知った読者は、「文学という永遠」への第一歩を踏み出せる。

 (しまうち・けいじ 国文学者)

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